パチンコの「出玉率」読めず 国際派、国内営業で苦闘
日本郵政社長 長門正貢氏(下)

国際派として活躍した翌年から一転して国内営業に(左が長門氏)
米国駐在を終え、1991年に国内営業の中枢部門で副参事役についた。
当時の日本興業銀行の独自の機能として本店営業本部に「業務部」という組織がありました。営業から上がった融資案件を審査する調査役として、鉄鋼や、自動車、ノンバンクなどの各業界と、福岡支店の案件に当たりました。バブル崩壊のころでしたから、ノンバンクの業績が次々と悪化。特に大変だったのは住宅金融専門会社(住専)です。政府は不良債権処理に6800億円を投じたものの、みんな倒れていきました。
国際派として振るった辣腕も、国内の営業現場では通用しなかった。
渡米前は資源開発などのプロジェクトファイナンスを手掛けていました。国際金融に近く、本流の国内営業に本格的に取り組むのはほぼ初めて。それなのに当時の新日鉄(現新日鉄住金)や日本鋼管(現JFEホールディングス)など大企業との融資案件を全て仕切るのです。仕事での言葉からして全く違いました。非常に戸惑いました。
地元の観光会社が健康を考えたパチンコパーラーをつくるので融資したいと九州の支店がいってきました。現場が準備した数字をもとに幹部に説明していたとき「出玉率」を「しゅつぎょくりつ」と読んでしまいました。「『でだまりつ』っていうんだ。やっぱり長門は外国人だ」と笑われておしまい。その一瞬で、それまでの説明が無に帰してしまいました。
審査するために、毎週200~300社もの財務諸表を読み込みました。宴会に出る暇もありません。この時の経験のおかげで、数字を見れば会社の実情はおおよそ想像がつくようになりました。そのくらい鍛えられました。