米国で合弁立ち上げ、異文化からサービスのヒント
日立建機社長 平野耕太郎氏(上)

日立建機の鉱山用機械
1991年、日立建機の平野耕太郎社長(61)は建機の生産現地化のため、米農機大手ジョン・ディアとの合弁工場立ち上げに加わった。
入社11年目に米合弁工場の第1期生として、資材生産管理担当の課長補佐になりました。この頃は生産拠点を海外にも広げ始めた時期。営業が希望でしたが工場勤務となり、顧客と建機の仕様決めや現地の部品調達に奔走しました。
部下との折衝に苦労した。
一番文化の違いを感じたのは米国人部下との折衝です。仕事のやり方が非常にラフでも権利を主張します。例えば、パソコンの計算シートの入力でもボルトの数が100個単位で合わず、チェックを促しても「誤差の範囲だ」と譲りません。書類の提出期限も守らないため人事評価を厳しめにつけると、米国人の人事部長に「ミスターヒラノの英語の指示がわかりにくかった」と抗議するのです。
1年かけて身の潔白を証明しました。紙での指示は全てコピーやメールで保存。1年後、同じ部下から再びクレームを受けた時、人事部長に証拠を提示。するとその従業員は態度を変え、その場で求人募集をみて電話をかけ始めました。主張する相手にどう対処するか、考えさせられました。