40代半ばで営業職に 国内を全力で転戦
清水建設社長 井上和幸氏(下)
普段から失敗を引きずらないように心がけて仕事していますが、最初の受注が決まったときは、ほっとしたのを覚えています。営業の仕事の半分は、社内をいかに巻き込めるかだと思います。チームで働く醍醐味を感じました。
九州支店の副支店長への転勤。担当はまたも営業だった。
いずれ建築現場へ復帰できるだろうと、心の隅で思いながら働いていました。本社勤務を約4年経験した後、3年間の静岡営業所勤務を経て九州支店の副支店長になりました。担当は営業でした。その時、今後も営業で働いていくのだと覚悟を決めました。
会社ではきっと自分の意に沿わない異動もあることでしょう。若い人は与えられたポジションで腐らず、うまくいかなくて反省はしても後悔をしない仕事をするよう、自分のベストを尽くしてほしい。周囲の上司や先輩は必ず見ています。苦労や努力は報われる。自分の経験からそう思います。
あのころ
井上社長が営業部門に転じたのは2002年。当時はバブル崩壊後の不動産市況の低迷などがゼネコン(総合建設会社)の収益を圧迫していた。当時、準大手の中には経営が行き詰まったり、合併する会社が出てくるなか、各社は様々な事業機会を探り生き残りに知恵を絞った。
井上社長が営業部門に転じたのは2002年。当時はバブル崩壊後の不動産市況の低迷などがゼネコン(総合建設会社)の収益を圧迫していた。当時、準大手の中には経営が行き詰まったり、合併する会社が出てくるなか、各社は様々な事業機会を探り生き残りに知恵を絞った。
[日本経済新聞朝刊 2019年7月30日付]