新しい道徳『武士道』に探る キリスト教と通じる品格
日中経済協会会長 宗岡正二氏

宗岡氏と座右の書・愛読書

むねおか・しょうじ 1946年生まれ。70年東大農卒。新日鉄社長、新日鉄住金会長、経団連副会長、全日本柔道連盟会長などを歴任。現在、日本製鉄相談役。
50巻に及ぶ重厚な装丁の全集は、時空を超えて夢と希望をもたらし、善悪の物差しまで知らず知らず与えてくれました。戦後のまだ貧しい小学生時代の記憶と気鋭の文明論を繋(つな)ぐきっかけをつくってくれたのは、昨年お会いした作家の塩野七生さんです。塩野さんと昵懇(じっこん)だった国際政治学者、高坂正堯の『近代文明への反逆』(副題は「『ガリヴァー旅行記』から21世紀を読む」)は、新しい視野を開いてくれました。
17世紀、ダブリンで生まれたスウィフトは変人とされます。しかし、その品性の高さは慶応義塾長を務めた小泉信三も評価しています。小泉の著書『平生の心がけ』にある「ジョナサン・スウィフト」という文章はスウィフトと執事の物語です。スウィフトは匿名で英政府の失政を攻撃する公開書簡を何度も発表しました。政府は賞金まで懸けて実名を突き止めようとします。その頃、執事が酒の上で失態を犯し、スウィフトは解雇します。執事は原稿の清書を担当していました。密告すれば賞金を得られたのに、そうはしません。スウィフトも再雇用して口を塞ぐようなまねをせず、期限が過ぎてから呼び戻し、教会の役僧に登用します。
この故事は現代の教育問題に通じます。小泉は文章をこう締めています。「誰もが皆、常に理非(道理)よりはまず利害を思うということが国の風となったら、民族の行く末は心許(もと)ない。こういうことは、やはり平生、親か教師が説き聴かせるべきであろう。或いは親や教師に教えるべきことだろう」
小泉の著作はかなり読みました。南太平洋で戦死した息子をしのぶ手記『海軍主計大尉小泉信吉』は涙なくして読めません。「善を行うに勇なれ」は彼のモラル・バックボーン(道徳的背骨)を示した優れた随筆集です。

新渡戸稲造の博覧強記は尋常ではありません。日本の道徳の柱とされていた武士道精神を英語で説いた格調高い文章は、米大統領セオドア・ルーズベルトを感銘させ、日露戦争の調停役を買って出るまでにさせたといいます。後の大統領、ケネディも『武士道』に登場する上杉鷹山を尊敬する日本人として挙げました。武士道は義(正しいこと)、勇(その実行)、仁(慈愛)を中核とした道徳律であり、高貴なる者の義務を意味する「ノブレス・オブリージュ」に通じます。品格の形成を重んじる点で武士道とキリスト教の世界には親和性があるようです。