東欧の重電訪ねる 現地の職人魂に触れ折衝学ぶ
明電舎 三井田健・社長(上)

明電舎の三井田健社長
1996年、その後の会社員人生に大きな影響を及ぼす出来事がありました。当時の役職は営業企画部管理第二課長。渉外担当として通商産業省(現経済産業省)や日本電機工業会(JEMA)に出入りするのが仕事です。日本の重電メーカーはそのころ海外進出が課題でした。JEMAが調査団を組み、ソ連崩壊後の東欧諸国の重電産業を視察することになったのです。
運良くそのメンバーに選ばれ、初の欧州渡航を楽しみにしながら成田空港へ向かったことを覚えています。10日間でハンガリーとポーランド、チェコの3カ国を周り、10社ほどの企業を訪ねました。
現地で感じたのは「自分たちはずっと昔からものづくりをやってきた」という、職人たちの高いプライドでした。欧州では今でも根強く残っているようです。
当社は2015年、旧東ドイツのトリデルタという避雷器メーカーを傘下に収めました。しかし買収後しばらく、トリデルタの従業員は明電舎の作業服を着てくれませんでした。
そこで思い出したのが、20年前に視察した風景でした。自社のやり方を全て押しつけるのではなく、互いに尊重し合う姿勢が東欧では大事です。当社のCM出演などを通じて交流を進め、トリデルタの人々と打ち解けられたのは当時の学びがあったからでしょう。
96年当時は、IT化の意識も日本企業の先を行っていました。人をいくらでも投入できる計画経済体制が終わり、生産ラインの省人化や自動化のニーズが高まっていたのです。無人搬送車両(AGV)や画像解析による部品の取り違え防止など、新技術を導入している企業もありました。高い職人意識と設備を持っている一方で、突然の自由主義市場への変化の中でそれを生かしきれていない葛藤があるようでした。
視察の目的の一つは、有望な企業の買収でした。訪問先の工場で電力需要や今後の見通しなどを質問するのですが、返ってくるのは「そんなことは自分たちの仕事とは関係ない」というにべもない回答ばかり。
ところが同業他社から派遣された担当者は、手を替え品を替え、とにかく情報を聞き出そうとする。会話が苦手な私にとっては、新鮮な驚きでした。
交渉の場での話し方や受け答えをを学べたことは、その後、日立製作所・富士電機・明電舎の共同出資会社(旧日本AEパワーシステムズ、12年解散)設立にあたっての折衝で、大いに役立ちました。
あのころ……
欧州では1988年にスウェーデンのアセアとスイスのブラウン・ボベリが合併してABBが誕生。89年にイギリスのGECとフランスのアルストムも重電部門を合併してGECアルストムとなった。両社は90年代にかけて国境を越えたM&A(合併・買収)を繰り返し、規模を拡大。日本勢も海外展開を本格化していった。