リーダーはブレない軸を 「バブルに乗らない」が教訓
富国生命保険 米山好映社長(上)
長期視点の定見貫く
「ところがバブルが崩壊して業界全体で新規契約が伸びなくなると、各社も失解率重視と言い出した。私は浅はかだったし、先見の明はゼロでした。今、社長になってから当時の古屋さんの信念、軸のブレのなさはすごいことだと実感します。生保も銀行も他社の動向ばかり気にしている時代。バブルに乗らない、というのは大変なことです」
「昨年度の失解率は4%台という創業以来一番低い数字になり、当社の強みです。生保は超長期の商品を取り扱う。長い竿(さお)はちょっと根元がぶれるだけで、先端が相当動いてしまう。バブルの一番の教訓は、仕事も私生活も一貫して軸を持つことです」
――入社後、最初の配属先は横浜の支社でした。
「私の原点です。お客様の保険料の支払いが滞り、木造アパートの自宅に訪ねたりしていました。必ずしも豊かではない人たちが家庭や家計を守るために懸命に保険料を納めていただいている、と実感しました」
「生命保険業は10年、20年先、あるいは終身にわたって保障する商品を売っていて、破綻や倒産は決して許されない。特にバブルが崩壊し、残念ながら破綻する会社が続出して以降、そのことを切実に感じるようになりました」
――生保が7社も連鎖破綻した00年前後の生保危機時の不安は。
「あのころは破綻の一方、生き残りをかけた合併や統合がはやり、当社も色々なやり取りがありました。私は会社全体の戦略を練る総合企画室の室長でした。良い財務状況などを保てば再編にくみしなくても十分やっていけると、一度も迷いませんでした。今もそういう迷いはありません」
迷う選択、識見求む
――その後、銀行が強く要望していた金融機関経由の保険販売が解禁されました。富国生命は02年10月に金融機関での窓口販売に真っ先に乗り出しました。
「これは経営企画担当の取締役だった私が一番信念をもって打ち出した施策です。当時の生保業界は『銀行が一方的に有利になる』と大反対していた。でも先を考えたら営業職員の数は増やせない。お客様との接点を増やすには金融機関での窓販が必要でした」
――当時売れ筋だった『元本保証型変額年金』の投入を見送りました。
「当時の金融機関窓販の主力は年金型商品です。2種類あり、元本保証はないが株などの運用次第で高いリターンが狙える変額年金。もう一つが債券運用でリターンの上振れはないが、元本が確実に戻る定額年金です。ところが両者のいいとこ取りを狙った元本保証型変額年金が開発され、爆発的に売れました」