経営ド素人、深圳の現法社長に 一時は年商ほどの借金
YKK 大谷裕明・社長(下)

深圳時代は「何のために事業をしているのか」と悩んだ(2008年)
■香港で19年。キャリアの基礎固まる。
香港で19年間働きましたが、こんなに長く居続けるとは思いませんでした。上司との面談では当初の希望だった「米国に行きたい」と伝えたことも何度もありました。それでも、香港は何をするにも自由にあふれ、交易上も重要な拠点。そのような場所で若い頃に働けたのは幸運でした。
プライベートも充実していました。香港のゴルフ場は富裕層ばかりで入れませんでしたが、仲間と国境を越えて中国でプレーしました。中華料理も食べ歩きました。今でも香港の中華は世界一だと思います。
2003年に香港を離れることになりましたが、その後も中国に関わり続けました。YKK中国社を経て05年、45歳でYKK深圳社の社長になりました。
■現地法人の切り盛りに苦戦。
YKKでは、現地法人の社長は本社の部長や執行役員になる手前、課長くらいの位置づけです。私は香港でマーケティングの経験を積んでいましたが、経営についてはずぶの素人。財務諸表の読み方すら分からず、原価計算もしたことがありませんでした。
そんな私に現地法人の経営を任せるところが、YKKらしさです。しかも、「予算を100億円やるから深圳に工場をつくれ」というのです。
中国は01年に世界貿易機関(WTO)に加盟してから、香港を経由せず海外と直接取引するようになりました。中期経営計画では05年から4年間で、YKK深圳社の事業規模を3倍にする目標を掲げていました。