教わるのではなく感じ取る~ハーバードの大人の学び
ライフネット生命・岩瀬大輔社長に聞く(上)

>> 岩瀬大輔氏(下) 「世界を変える」ハーバードで得たリーダーの意識
会社の執務室の本棚には、10年前にHBSの授業で使ったケース(企業の経営事例)の資料が、ズラリと並ぶ。
ビジネススクールの授業で使った教材というのは、卒業後は、自宅の部屋の奥にしまってほこりをかぶったままという人がほとんどだと思いますが、私は会社に置いて、いつでも見られるようにしています。
何年か前、HBSで仲の良かった米国人から、「マーケティングの授業でやったフォルクスワーゲンのケースを見たいんだけど、誰か持ってない?」というメールが回ってきたので、資料をスキャンしてPDFで3分後に送ったら、みんなに驚かれました。
ライフネット生命を立ち上げる際にも、授業で使ったケースを参考にしました。世界的な金融機関のINGグループがネット銀行を立ち上げたケースで、銀行と生保は違いますが、ネットが舞台という点は同じ。頭の中に何となくネット生保のイメージを描くことができました。
ビジネススクールは仕事に役立てるためのものなので、卒業したらハイ終わりでは、意味がありません。授業で使った教材も、しかり。今でも、何か新たな発見はないかと、たまに仕事の合間に読み返します。今度、時間のある時に、リーダーシップの授業でやったケースをじっくり読み返してみようかなと考えています。
キャリアのスタートは、経営コンサルティング会社だった。
帰国子女で英語が得意だったので、将来は国際弁護士になろうと思い、東大法学部に進学。計画通り、大学在学中に司法試験を受けて合格しました。でも、たまたま在学中にボストン・コンサルティング・グループ(BCG)でインターンをしたら、仕事が意外に面白かったので、そのままBCGに就職。弁護士は、司法修習を受ければいつでもなれるので、後回しでもいいとその時は思ったのです。
就職して間もなく、MBAをとることを意識し始めました。コンサルティング会社は、社員の8割ぐらいがMBAホルダーの中途採用。ですから、自分もそのうちMBAを取るんだろうなと、ごく普通に考えるようになりました。
2年後、BCGの先輩に誘われ、BCGを辞めて米系ベンチャー企業の日本法人設立に参加。ところが、ITバブルの崩壊で突然、日本から撤退してしまい、企業再生ファンドのリップルウッドに転職しました。
リップルウッドでは、買収した上場企業の社外役員にもなりました。コンサルの経験もあったので経営のことはある程度わかっているつもりでしたが、取締役会に出たら、自分がいかに経営のことを知らないかを痛感。やはりMBAをとらなくてはと、改めて思いました。
実を言うと、BCG時代に、フランスの名門ビジネススクールINSEAD(インシアード)に合格していました。ただ、仕事が忙しくて渡仏を断念。今度こそは絶対に留学するという強い気持ちもありました。
2004年、28歳の時に、HBSへの留学を果たした。
併願した米スタンフォード大学が補欠合格だったので、自動的にHBSに行くことが決まりました。両方受かっていたら、迷ったと思います。
日本人留学生の多くが苦労する英語は、帰国子女だったことに加え、BCGでもリップルウッドでも毎日、英語を使っていたので、問題ありませんでした。特にリップルウッドでは、ウォール街の人間といつも会議で激しく議論していたので、英語はかなり鍛えられていました。
そのお陰か、厳しいことで知られるHBSの授業や課題が辛いと思ったことは一度もありません。むしろ、毎日が楽しくてたまりませんでした。ビジネススクールがまさにそうですが、社会人の学びというのは、学生時代のように決まったことや一方的に与えられたことを教わるのではなく、授業の中から自分で何かを感じ取り、気付きを得ることだと思います。ケーススタディーの授業は特にそう。だから楽しかったのだと思います。
もちろん、HBSは「資本主義の士官学校」とも言われるぐらいなので、勉強はけっして楽ではありません。授業では積極的な発言が要求されますし、当てられた時にきちんと答えられないと退学もあり得るので、絶対に気を抜けません。
それでも毎晩、翌日の予習を終えた後に、ブログを書く余力はありました。入学時から書き続けたブログは、日本の編集者の目にとまり、帰国した翌年に本にもなりました。それ以上に大きかったのは、後で改めて述べますが、このブログが結果的にライフネット生命の設立につながっていったことです。
勉強の方は、頑張った甲斐があり、卒業時には、全校生徒の中で成績上位5%にだけ与えられる「ベーカー・スカラー」をいただきました。HBSの長い歴史の中でも、日本人留学生で同賞をもらったのは、私が4人目ということでした。
インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)