世界経済に大きな影響を与えたアダム・スミスの『国富論』
著者が解説~池上彰氏(3)

~重商主義を批判し、輸入によっても国は豊かになると唱えた
第3回からは、経済学を学問として分析し、世界に大きな影響を与えた4人の経済学者を取り上げます。まず最初は近代経済学の父と呼ばれているアダム・スミスです。彼が1776年に発表した『国富論』は、世界経済に大きな影響を与えました。翻訳がいくつか出ていて、『諸国民の富』という日本語訳もあります。
『国富論』という題名なくらいですから、アダム・スミスは私たちにとってそもそも富とは何か、何が富に当たるのか考えました。そしてこう定義しています。
「富とは国民の労働で生産される必需品と便益品」
生活必需品があってこそ富ですよね。これがなければ非常に貧しいことになります。便益品というのは、言ってみればやや贅沢をするものです。これを合わせて消費財と呼びます。これこそが富であると考えたのです。なぜアダム・スミスはこのような考え方をしたのでしょうか。彼は当時最も一般的な経済の考え方であった「重商主義」を批判したのです。
重商主義では、輸出によって金や銀などの貴金属が国に入ってくる、この貴金属こそが富だと考えます。輸入をすると支払いに貴金属を使うので、国から貴金属が出ていってしまう。だから輸入は国を豊かにしないと考えます。つまり、輸出によって貴金属をため込むことが国を豊かにし、輸入は国の富を減らすということです。アダム・スミスはこの考えを否定したのです。
彼はこう考えました。輸出をすることによって国に貴金属が入ってくることはもちろんいいことだ。一方で、その貴金属を使って海外からいろいろなものを買う、すなわち輸入をする。輸入によって生活必需品や便益品などさまざまな消費財が国内に入ってきて、国民の生活をより豊かにする。だから輸出だけでなく、輸入によっても私たちの暮らしは豊かになる、これこそが富だということです。

つまり、富を増やすためには外国との自由な貿易を行う。それと同時に国内でも自由な経済活動をすることによって富が増えていく、ということです。そうは言っても、アダム・スミスは単にどんどん輸入をすればいいとは言っていません。いきなりたくさんの輸入を始めたら、それによって国内の産業が壊滅的な影響を受けてしまう可能性がある。だから徐々に輸入を増やすことが必要なのだと考えました。

~それぞれの利己心による社会的分業によって経済は回っている
アダム・スミスは、国の富を増やす具体的な方法も考えました。生産性を高めるための分業です。さまざまな産業で分業体制をとることによって、私たちの経済は豊かになっていくと、彼は指摘しました。
たとえば、パンを作るためには小麦粉が必要ですよね。でも自分で小麦を植えて収穫し、それを小麦粉にしてこねてパンを焼いて、それに飾り付けをして売りに出すということを1人でやったら、1年がかりの仕事になってしまいます。小麦を専門に作っている農家がいるから小麦が大量にできる。それをひいて小麦粉にして売る人がいる。パン屋さんはそれを買ってきてこねてパンを焼く。社会的にさまざなま分業、仕事をしている人たちがいるおかげで、私たちはパン屋さんで、たくさんのいろいろなパンを買うことができるわけです。
ではその分業は、そもそもみんなで打ち合わせをして行っていることでしょうか。そうではないですよね。農家の人は、小麦を育てて売ればお金になるから小麦を作っている。小麦を安く買って小麦粉にすれば高く売れるから、小麦粉を生産する企業が存在する。それをこねてパンにすれば売れるからパン屋さんがいる。みんな社会のために働いているという意識を持っているわけではありません。その仕事をするとお金になるからその仕事をしているにすぎないのです。

アダム・スミスは言っています。人間だけが分業をすることができる。動物は分業できない。人間だけが社会的分業を行い、世の中の経済が回っていると彼は考えたのです。いろいろな仕事がありますが、それぞれの人が自分のことを考えて、その仕事をすれば利益があり生活をすることができるからやっているにすぎない。けれどもこれを社会全体で見ると、それによって世の中の経済が回っているのです。
つまり、分業は相手への利他心ではなく利己心に働きかけて成立すると言っています。あなたがパンや野菜を食べられる、あるいはお酒が飲めるのは、あなたのために作ってくれているからではないということです。みんな儲けようとして利己心で作って売る人がいるから、私たちはそれを買うことができるということです。分業、しかも利己心による分業によって経済は動いている、その結果、経済がうまく回っていくということです。
~経済は「見えざる手」に導かれ、うまく回っていく~

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)ほか多数。長野県出身。
アダム・スミスは、輸出を増やすことによって国が豊かになることは認めていますが、輸出を増やすために輸出を行う企業に国が補助金を出す「輸出奨励金制度」は批判しています。
国からの補助金を目当てに生産性の低い産業に企業がどんどん参入したら、支払う補助金が増えていく一方で、生産性の低い産業に企業が集まってしまいます。それは国全体にとって決していいことではない。自力でほかの産業に太刀打ちできなければ、それは仕方がないことだ。強い産業に人やお金が流れていくことが、結局は社会全体の資源配分の最適化につながるのではないか。彼はこのように考えました。
経済学は資源の最適配分を考える学問だという話を前にしましたが、アダム・スミスは、国が口を出したりせずそれぞれ自由にやらせていれば、結果的に資源が最適に配分されると考えました。つまり市場=マーケットを大事にすれば結果的に経済が豊かになる、奨励金のような余計なものは不要だと考えたのです。

アダム・スミスの有名な言葉があります。「見えざる手」です。自分の利益だけを考えてみんな働いている。でもそれは社会的分業になっている。そしてみんなが自分のことを考えて一生懸命やっていれば、結果的に見えざる手に導かれて世の中がうまくいくということです。
市場=マーケットも個々人が利益を求めて利己的に行動しても、見えざる手によって導かれ、結果として経済がうまく回っていくということです。ものの値段はどうやって決まるのか。それは需要と供給によって決まるのでしたね。需要と供給のバランスはおのずと調整される。これを見えざる手に導かれるがごとくうまくいく、と表現したのです。

見えざる手によって経済がうまく導かれるのであるなら、国は市場をただ放っておけばいいのでしょうか。アダム・スミス以後、経済学では自由放任にすれば結果的にうまくいくという考え方がずっと引き継がれていき、やがてそういう学派も生まれてきます。ただし、アダム・スミスがすべてにおいて自由放任を主張していたのかというと、必ずしもそうではありません。『国富論』をちゃんと読めば、すべて自由放任すればいいとは言っていないのです。彼は、絶対に必要な政府の役割を3つあげています。
続きは書籍で……。
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(イラスト:北村人)
次回は、社会主義の父、カール・マルクスを取り上げます。
[日経Bizアカデミー2012年5月11日付]