「人生で初めて必死に勉強した」タクシー王子の原点
川鍋一朗・日本交通会長に聞く(上)

川鍋一朗 日本交通会長
スマートフォンでタクシーを呼べる配車アプリの普及や、世界各国でお金を取って自家用車で人を運ぶライドシェアの登場など、日本のタクシー業界を次々と襲う"黒船"。だが、それを逆手にとって改革を推し進める経営者がいる。日本交通の川鍋一朗会長(45)だ。創業者一族ながら、人呼んで「業界の革命児」。育ちのよい3代目から戦う経営者へと川鍋氏を変えたのは、米ビジネススクールへの留学だった。
子供のころから、「お前が3代目だ」と周りから洗脳され、育った。
創業者である祖父は、私が物心ついたころから、「お前が跡取りだ、お前が3代目だ」と私に言って聞かせました。周りの大人にも、会う人ごとに、そう私を紹介。正直、跡取りとか、3代目とか、意味はよくわかっていませんでしたが、大人になったら日本交通の社長になるんだということだけは、幼心にもなんとなくわかりました。
早世した父は、家に人を呼んでパーティーを開くのが好きでした。ゲストには外国人も多く、英語を話す父を見て、そうか、社長になるためには英語が必要なのかと思い、将来は米国に留学しようと決めました。
大学は、内部進学で慶応大学に進学。体育会スキー部に入り、勉強は適度に体育会活動に打ち込みました。その間も、社長になるには何が必要かいつも考えていたので、リーダーシップを学ぶためにスキー部の主将になろうと心に決め、実際、4年の時に主将を務めました。
経営学修士(MBA)を取ろうと決めたのは、大学1年の時です。尊敬する体育会テニス部の主将が、「一朗君、僕はね、卒業したらMBAに行くんだ」と。なんてカッコいいんだと思い、自分も卒業後はMBA留学しようと決めました。MBA留学すれば、経営の勉強と同時に、社長に必要な英語も学べる。MBA留学は自分のためにあるんじゃないかと思ったほどです。