変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

課題ですか? ひとつ挙げるとすれば「人」ですね。海外展開をするにも、新しいビジネスを掘り起こすにも、人材が必要不可欠です。昔から、多くの経営者が「最後は人だ」と言っていますが、今、本当にその通りだなと実感しています。

数字はお客様を満足させた結果でしかありませんから、それを目標にはしたくありません。ビジネスは基本的に計画できるものじゃない。私たちは「メガネの歴史を変える会社」になりたいと思っています。そのためには人も成長し、会社も常に変わり続ける必要があります。

最近、うちのマネジャーを15人連れて、米国のシリコンバレーに行きました。年齢層で言えば30歳代が中心です。「デザイン・シンキング」(ビジネスやサービスの立ち上げにデザインの発想を持ち込み、新たなアイデアやイノベーションを生むための方法論)のワークショップに参加したり、電気自動車(EV)大手のテスラモーターズでイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)と格闘した日本人の話を聞いたり、現地の活気に触れることでものすごく刺激を受けて帰ってきました。

海外のスピード感に触れると、自分たちをより客観的に見ることができるようになります。うちは日本企業の中ではそこそこスピード感のあるほうだと自負していますが、シリコンバレーの空気に触れたマネジャーたちは「それでも遅い」と感じたようで、戻ってきてからは、より効率の良い働き方を自分たちで模索するようにもなりました。

私自身もそうでしたけれど、結局、人は自分で見て、聞いて、実感した時にしか変われないんです。

人生初の勉強は大学院で

「もしかすると世界に行けるかも」と思ったのは、2011年にモナコで開かれた、優れた起業家を表彰する「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー」世界大会に日本代表として出席した時のことでした。

レセプションの会場には、世界からえりすぐられた44カ国の起業家がずらり。つたない英語を駆使しながら交流しているうちに、「案外普通の人たちだな」と思い始めました。これくらいの起業家だったら日本にも大勢いるぞ、と。

本気で経営の勉強をしたいと思い、2012年からは慶応義塾大学の大学院(政策・メディア研究科)に通い始めました。仕事の会食も早々に切り上げ、夜の10時から午前2時、3時まで机に向かって勉強しました。人生初の机に向かった真剣な勉強です。

社会人大学院ではない昼間のコースでしたから、社員には迷惑をかけたと思います。会社の仕事と両立するために、授業は月曜日と水曜日の午前中に集約しました。若い学生たちに混じり、階段教室で試験を受けた時はさすがに緊張しました。隣の子のカリカリする鉛筆の音が気になって(笑)。

大学院に行ったのは「消費者はなぜ不合理なのか」というテーマを研究するためです。自社のメガネには絶対的な自信を持っていましたが、消費者は必ずしも一番安くていいメガネを買うわけではない。なぜなんだろう、と疑問に感じたことがきっかけです。

大学院の先生方は子供の頃から親や先生の言うことをよく聞き、勉強ができた人たち。私はまったく正反対の人間ですから、議論をしていると、お互いに気づきが多くておもしろかったですね。うちの優秀なスタッフの助けもあり、無事に、2年間で修士課程を修了することができました。

故郷・群馬から起業家を育てたい

父が不治の病で入院したのは、大学院に通っていた13年のことでした。私自身もちょうど50歳という節目を迎え、この先の人生についてもいろいろと考えさせられました。

経営者はもちろん、ビジネスを通じて社会貢献することが一番です。しかし、それだけで満足できるかと自分自身に問いかけた時に、違うなと感じました。

考えてみたら、私は群馬の片田舎で育ったごく普通の子供でした。実家はガソリンスタンドを経営していましたが、経済的にゆとりがあったわけではなく、人に誇れるような華々しい経歴は何ひとつありませんでした。

きっと、同じような境遇の子は、日本中にたくさんいるでしょう。勉強が苦手でもクワガタ捕りが得意な子が、ちょっとしたきっかけで起業家になれる。そんなチャンスを提供したいと思い、財団を立ち上げ、故郷の群馬から起業家を育成する取り組みも始めました。

「財団をつくるなんてまだ早い」といわれそうですが、私はそうは思いません。ビジネスで成功したら次に社会貢献、という順番にこだわる時代ではない。今は、ビジネスも社会貢献も同時に取り組む時代になってきている気がします。

いきなり大それたことはできなくても、自分にできることから少しずつやろう、と奮闘中です。

田中仁氏(たなか・ひとし)
1963年群馬県生まれ。信用金庫勤務の後、1988年、ジェイアイエヌを設立。2001年、アイウエア事業「JINS(ジンズ)」を開始。06年、大証ヘラクレス(現ジャスダック)に上場。11年、優れた起業家を表彰する「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー(EOY)」世界大会に日本代表として出場。13年、東証1部に上場。著書に「振り切る勇気」がある。

(ライター 曲沼美恵)

<< (上)「大晦日にカネをせびりに来たのか」の一言で起業決断

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedoNIKKEI SEEKS日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック