邦銀初の女性社長、リーマン出身者とも「同じ言葉で」
鳥海智絵・野村信託銀行社長に聞く(下)

野村証券(現野村ホールディングス)入社5年目で、米国に経営学修士(MBA)留学した鳥海智絵・野村信託銀行社長(50)。留学での学びは帰国後、しばらく封印状態だったが、経営の仕事に近づくにつれ、記憶の底に眠っていた知識・経験が、一つひとつ蘇ってきた。
帰国後、投資銀行部門に配属になった。
帰国してしばらくは、正直、ビジネススクールは自分のキャリアに何の役に立ったのだろうと自問自答していました。自分が変わったという感覚もほとんどありません。転職でもすれば別ですが、私の場合は企業派遣だったので、特にそう思ったのかもしれません。
実務の面でも、投資銀行部門に配属になった最初のころこそ、ファイナンスの授業で学んだ知識が直接役立ちましたが、その後異動して担当したエクイティデリバティブ関連の仕事では、ビジネススクールでの経験が生きたという実感はあまりありませんでした。
変化が起きたのは、2005年に、野村ホールディングスの秘書室に異動し、社長の政策秘書の仕事を始めたころからです。
社長秘書は、社長が全体を見るために必要な材料を自分なりに考えて提供するのが仕事。想像でやるので的外れのこともあったかもしれませんが、自分自身も経営的な視線で物事を見るようになりました。それはまさに、スタンフォード時代に「物事を大きく見る」と教えられたことと一緒。秘書の仕事自体も、自分の視野を広げてくれ、その後の仕事をする上で貴重な経験となりました。
リーマン・ショックから2年後の2010年、野村ホールディングスの経営企画部長に就任した。
経営企画部長に就任したのは、経営破たんしたリーマン・ブラザーズの事業の承継作業がほぼ終了し、さてこれから、新たにリーマンの人・組織を取り込んだ野村グループを、どうグローバル時代にふさわしい組織に作り変えていくかという大きな経営課題に取り組もうとしていた時期でした。