メダリストがオムロン創業者に学ぶチャレンジ精神
元五輪選手、為末大さんが読む「立石一真の履歴書」(上)


立石一真氏
【立石一真 たていし・かずま】1900年熊本県生まれ。熊本高等工業学校(現在の熊本大学)電気科を卒業、兵庫県庁技師、配電盤メーカーなどを経て33年にオムロンの前身、立石電機製作所を設立した。79年に会長に退くまで技術開発志向の経営を貫き、独自のベンチャー哲学を実践。「大企業病」という言葉を生むなど異色の経営者でもあった。91年に90歳で死去。
【為末大 ためすえ・だい】1978年広島県生まれ。五輪、世界選手権を通じて男子陸上トラック種目で日本人初のメダリスト。400メートル障害で2001年に47秒89の日本記録を樹立。五輪はシドニー、アテネ、北京に連続出場。世界選手権では01年、05年に銅メダル。02年法大卒、大阪ガス入社。03年退社してプロ転向、12年引退。著書に『走る哲学』(扶桑社)など。現在はスポーツと社会、教育に関する活動を行う。
ピンチを切り抜ける「希望を見いだす見方」
貧乏に耐え切れずに人生の"負け犬"に落ち込む例をよく見かける。私は幼いときの苦労から何事にも希望を捨てず、また善意に思考することが一つの世渡りというか、人生を生き抜く"コツ"になるのではないかと思った。私の信念もその積み重ねが生み出してくれたものである。
(立石一真「私の履歴書」第1回)

為末大さん
ピンチを切り抜けられる選手とそうでない選手の違いは、ものの考え方の違いでしかないんです。希望は向こうからやってくるのものではありません。「希望を見いだすものの見方」を持っているかどうかが問われるのです。「私の履歴書」に登場する人達は、みんなこういった「プラスの見方」をしている人が多い気がします。そうでなかったら、経営なんて、きっとやっていけないでしょう。
実は、初めて出場した五輪、2000年のシドニー大会で、僕は転倒したんです。転んだことで結局、競技はうまくいかなかったのですが、「どうやったらうまくいくか」を考えなければなりませんでした。シドニーの後は、外国人と走ることでペースが崩れないように、海外で練習を重ねました。そして翌年、世界選手権エドモントン(カナダ)大会でメダルをとりました。