「開成より日比谷」東大合格公立校1位に復活したわけ
日比谷高校の武内校長が語る

武内校長
次に武内校長はデータを活用した生徒全員の学力向上作戦を展開した。模試などの試験結果をもとに生徒一人一人のデータベースを作成。「当初は成績上位層と下位層が分かれてふたこぶラクダのような分布図だったが、これでは効果的な授業運営が難しい」(武内校長)と分析。教師たちと話し合い、下位層を中上位層に引き上げるため、(1)宿題を常に課す(2)午前7時半ごろからの補習授業を行う(3)教師と生徒との面談を年4回として生徒との対話を強化する――ことを決め、実践した。
「いくら有能な教師でも一方的な伝達形式の講義はダメ。やりとり重視の対話型として生徒に考えさせる授業を提供しよう」とも教師たちに呼びかけた。日比谷の教師は専任が54人、非常勤を含めると70人以上となる。武内校長は各教師の授業を年2回は見て回り、人事面談は3回実施し、教師と徹底的に対話し、改善のための指導を怠らない。「私の仕事はマネジメントリーダーとして人材を育成すること。企業のリーダーと変わりません」と強調する。
かつて都立の名門校の校長は定年直前のベテラン校長が大半だった。強力なリーダーシップを発揮することもなく、若手教師の人材育成まで手が回らなかったといわれる。しかし、武内校長は、最年少の39歳で教頭となり、40歳代後半に校長に昇格。都教育委員会が日比谷復活のために送り込んだ教育界のエース的な存在だ。
そもそも都が都立高校の競争力強化に乗り出したのは01年のことだ。日比谷は「進学指導重点校」に指定された。他校に先駆けて入試時の「自校作成問題」を実施。教員の公募制もスタートした。都の高校教師は1万人近くいるが、進学指導に熱心で能力の高い教師は自ら希望し、日比谷や西など都立高校の重点校に配属された。書類選考、校長らとの面接を経て有能な教師が日比谷に集まった。
しかも武内校長が率いる日比谷の教師陣は、生徒の面倒見がいい「熱血集団」として知られている。「どの教師も生徒の個別添削指導を徹底的にやっているが、書き込みすぎてけんしょう炎になるような先生もいるほどだ」。午前6時台から出勤し、受験の追い込み時には深夜まで働く教師もいる。