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若いころは自分に自信がないから、世間がいいと評価するものを欲するんですよね。それを勝ち取ることで自信をつけたくなる。東大に入ったのは、そういう世俗的な価値観に従った部分もあったと思います。

一流と出会い、作家の道を捨てる

コルク社長 佐渡島庸平氏

コルク社長 佐渡島庸平氏

講談社に就職したのは、いずれ小説を書くこともあるかもしれないと思ったから。編集者から作家になる人もいましたから、講談社だったらそういう道もあるかな、というくらいの軽い気持ちでした。最終面接の時も、たしか、こう言われた記憶があります。

「君は講談社を腰掛けと思って作家になりそうだな」

結局、僕は作家にはなりませんでした。矛盾するようですが、それも、講談社に入ったからです。

漫画雑誌『週刊モーニング』編集部に配属され、その日の午後には『バガボンド』の井上雄彦さんと打ち合わせをしていました。同じ日の晩には、『働きマン』の安野モヨコさんとご飯を食べた。一緒に仕事をした初めての小説家が伊坂幸太郎さんで、その後も平野啓一郎さんとか、一流の作家さんたちとばかり、仕事をさせてもらいました。

一流の人は粘り力がすごいんです。それに、言語化能力も高い。僕も高い方だと思っていましたが、この人たちにはとてもかなわないな、と実感しました。

もしかすると、自分は作家になっても食えるかもしれないけれど、この人たちのような一流には絶対になれないだろう。だったら、彼らをプロデュースする側に回った方がいいんじゃないか。作家の気持ちをわかった上でビジネスを展開できる人間になれれば、一流を目指せるかもしれない――。そう思いました。

死を目前にした友人と病床で対面

実は辞めようと決意する瞬間まで起業するなんていう気持ちは、全くありませんでした。会社を経営するなんて、考えたこともない。起業家に対する憧れも、一切ありませんでした。それなのに、なぜ、会社を始めることになったのか。実のところ、そこはあまり論理的じゃないかもしれません。

入社1年目から三田紀房さんと一緒に『ドラゴン桜』の企画を立ち上げて以来、忙しくしていましたが、2012年は特にほとんど休みなしで仕事をしていました。担当していた『宇宙兄弟』(小山宙哉氏原作)の映画が公開されたのが12年5月5日で、それまで、そのための準備や宣伝で走り回っていたんです。

『宇宙兄弟』のアニメ化もしていて、4月から放送がスタートしていた。それに合わせて関連本を10冊くらいバーッと出して、そのための仕込みやイベントが重なって……というめまぐるしい日々が続いていました。

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