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収入ゼロの状態が1年も続けば、蓄えも底を突きます。私生活でもその前年に離婚し、そもそもの蓄えも少なかったため、家を引っ越し、最後には車も売りました。どん底の状態にまで落ち込んだ時に、あることを思い出したんです。そう言えば、社長を退任した直後、BCGの先輩が「ランチでも行こう」とメールをくれていたんだっけ、と。

BCGデジタルベンチャーズ パートナー 平井陽一朗氏

BCGデジタルベンチャーズ パートナー 平井陽一朗氏

BCGに戻る選択肢は、それまで考えていませんでした。ただ、先輩がくれたメールのことを思い出した時、かつて一緒に働いていた人たちのことが頭に浮かび、何をやるかよりも、誰と働くかを軸にして再就職先を考えてもいいのかもしれない、と思いました。とはいえ、メールをもらったのは随分前のことでしたし、半ばダメかもしれないと思いながら面談に行ったところ、幸運にも採用になりました。その瞬間はとにかく、感謝の気持ちしかなかったですね。それと、毎月お給料が入ってくるということがまず、うれしかった。

その時につくづく考えたのは、キャリアがどうのこうのとか、自分のやりたいことを追求するっていうのは、すごくぜいたくなことなんだなということです。できることをやる。求められたことを精いっぱいやる。その対価としてお金をいただく。それで生活が成り立っていくということは極めて尊く、立派なことだったんだと気づきました。

映画を1日1本見ていた学生時代

じつは僕、映画が大好きで、学生時代は1日1本は必ず見ていました。レンタルビデオの全盛期でしたから、新作が出たら、とりあえず借りる。黒沢明監督の『七人の侍』など、時代劇も好きでした。高校時代に米国留学していた時、現地の友人はみんな知っているのに日本人の僕が見たことがないのに気がついて、それから意識して、黒沢監督の作品を見るようになりました。

そのころは、エンターテインメントの世界に入りたいと思っていたんです。でも、就職先には三菱商事を選びました。一応、テレビ局の内定ももらっていたんですけれど、若いのに振り切れなかったですね。打算もありました。三菱商事に入った方がお給料も良さそうだな、とか。当時、三菱商事は米国の衛星放送、ディレクTVの事業を手がけていましたから、それに携われたら面白いかな、と思ったんです。

甘かったですね。配属されたのは希望とはまったく違う、機械グループの自動車本部。人生初の挫折と言えば、ここだったかもしれない。今はどうかわかりませんけれど、機械グループというのは当時、三菱商事の中でも非常に「おカタい」部署で、メールやファクスにもいちいち「貴信拝承」と回答するような文化がありました。

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