名門を渡り歩いたエリートが直面した人生の谷間
BCGデジタルベンチャーズ パートナー 平井陽一朗氏(上)
メールで自分のことを「小生」と称したり、非常にありがたいことを「幸甚に存じます」と表現したり。米国育ちの僕の目から見ると、「江戸時代か?」と思えるような慣習がたくさん、残っていたんです。
でも、最初に入った会社でしたから、いつの間にかそれが当たり前と思うようにもなっていきました。改めてそうじゃないんだと認識したのは、BCGに転職した時です。「なんか君の文章、カタくない? もっと普通でいいから」と先輩に言われて、「そうだよな」と。

「とにかく、人と話す」
そのころはプレゼンテーション資料作成ソフトの「パワーポイント」なんて使ったこともなかったし、表計算ソフトの「エクセル」はただのマス目だと思って、計算機でたたいた数字をわざわざ打ち込んでいたくらいでしたから、それはそれで、かなりのカルチャーショックを味わいました。
もちろん、社会人としての基礎能力と商売の厳しさを教えてもらったという意味で、三菱商事に勤務したことは、僕の原点になったと思っています。
念願かなってエンターテインメント事業に携わる
ずっとやりたかったエンターテインメントの世界に本格的に携わることができたのは、30歳でウォルト・ディズニー・ジャパンに転職した時です。ディズニーが新たにCSチャンネルをつくるというので、それを担当しないかというオファーが舞い込んできました。条件など関係なく、すぐに飛びつきました。お給料はかなり減りましたが、まったく気になりませんでした。
まだない事業を立ち上げるわけですから、部下は誰もいなくて、何人かのボスを兼務するアシスタントの方が1人いるだけ。社内の営業や編成、制作、財務などいろいろな担当者を集めてプロジェクトを立ち上げて回したり、調整や交渉ごとを担当したり、という仕事でした。
当時の僕の上司は、ディズニー内外において数々の事業をターンアラウンド(再生)させたり、成功させたりと、華々しい実績のある米国人でした。日本文化にも精通し、人間的にも尊敬できる方で、現在も大活躍されています。
ある時、僕はその上司にこう尋ねたことがあるんです。「新しい会社や組織に行ったら、まず何をしますか?」と。そうしたら、彼はこう答えました。「とにかく、人と話すんだ」
32歳でオリコンの副社長にスカウトされた時、僕はそのアドバイスを愚直に実践しました。全役員、それと当時、部署にいた約40人の社員に個別に30分から1時間くらいの時間をもらい、その人たちが担当している業務について事細かく教えてもらったり、彼らが感じている課題・会社が向かう方向性はどんなふうなのかについての話をしたりしました。
じつは、僕、あまりノートを取らない方なんです。でも、その時はノート3冊分が全部埋まるほどのヒアリングをしたくらい、真剣に準備をしました。
1974年東京都生まれ。米国の公立高校を卒業後、東京大学経済学部卒業。三菱商事を経て、ボストン コンサルティング グループ(BCG)入社。その後、ウォルト・ディズニー・ジャパン、オリコン副社長兼最高執行責任者(COO)、ザッパラス社長兼最高経営責任者(CEO)を経て、再びBCGに入社し、現在は同社パートナー&マネージング・ディレクター。BCGデジタルベンチャーズの東京センター立ち上げを主導。主に大企業のデジタル分野の新事業構築に取り組んでいる。
(ライター 曲沼美恵)