「体育祭やろう」 いじめられっ子、聖光学院で覚醒
高島宏平・オイシックス社長が語る(上)
聖光には体育祭がなかった。学校に働きかけ体育祭を開催した。
当時の聖光は、学園祭しかありませんでした。他校は学園祭と体育祭という年に2回ビックイベントがあるのに、自分のところだけないのは何かおかしい。

創立50周年を記念して2014年に完成した新校舎(横浜市中区)
そう思って、高校2年の時、生徒会の役員ではありませんでしたが、勝手に、学校に「体育祭をやらせてください」と直談判しました。話し合いの結果、私が委員長になり、生徒10人くらいの準備委員会を設立。学校の責任者として担当の先生を1人付けてもらい、準備に取り掛かりました。
でも、どう準備していいのか全然わからなかったので、まず、体育祭で知られる他校にヒアリングしました。開成にも行き、先生に話を聞いてリポートを作成。提案も加えて学校に提出しました。例えば、毎年の実行委員会の中心メンバーは、受験に影響が出ないよう高2が中心となってやるなど、かなり具体的な提案を盛り込みました。そうしたら、学校からゴーサインが出て、開催されることに。以後、体育祭は学校行事として、毎年開かれるようになりました。
体育祭を開くことができたのは、もちろん、先生方のサポートもあります。学校が「生徒からの提案はできるだけ尊重しよう」という姿勢を持っていたことが大きかった。その意味では、聖光学院はとてもいい学校だと思います。私も、聖光時代のこうした経験から、何でも言ってみること、手を上げてみることが大切だということを学びました。これはいま思うと、自分がベンチャーをやっていることの根っこの部分と関係があるのではないかと思っています。
インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)
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