最初は号泣するほど嫌だった 私の「iモード事件」
NTTドコモ イノベーション統括部 担当部長 笹原優子氏(上)

日本発のイノベーションと言えば、NTTドコモが1999年にスタートした携帯電話インターネット接続サービス「iモード」を思い浮かべる人は多い。民営化したNTTグループが、リクルートで情報誌の編集長として活躍していた松永真理氏や、ベンチャー企業の副社長だった夏野剛氏など外部人材を迎え入れて立ち上げた一大プロジェクトとして知られるが、発足当時、チームは社内で異端視され、入社4年目で異動を言い渡された笹原優子氏は「泣くほど嫌だった」という。現在は担当部長として社内起業家支援に取り組む笹原氏に、社内人材の目から見た「iモード事件」を振り返ってもらった。
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iモードの開発チームとはたまたま同じフロアにいたのですが、ヘンな部署だな、と思いながら見ていました。まさか自分がそこへ異動することになるとは、夢にも思いませんでした。
その時、私は「モバイルコンピューティングビジネス部」で、10円でメールの送受信ができる端末を開発する仕事に携わっていたんです。今をときめく感のある部署でしたから、辞令が下った際には初めての異動で部署を離れるさみしさと、思いもしなかった異動先に戸惑い、上司の前で号泣しました。
後にも先にも、私が会社で泣いたのはあれ一度きり。1998年4月、入社して4年目の春のことでした。

NTTドコモのiモード携帯電話
ポツリ、ポツリとしか人がいない部署
iモードのプロジェクトはすでにその前年から立ち上がっていて、社内公募という形で、同期を含む数人の若手が集められていました。ほかの部署は整然と机が並んでいるのに、そこだけはポツリ、ポツリとしか人がいなくて。
私は異動前に一度だけ、上司のミーティングに同席した際にiモードのチームと一緒になることがあったんです。メンバーの立ち居振る舞いや見た目もとにかく違っていましたが、なんというか、外国人みたいだなあ、と思っていました。
日本人は、言いたいことがあってもオブラートに包み、曖昧に表現しますよね。iモードチームの人たちはいちいち主張が明確というか、堂々としている印象がありました。それに、誰に対しても対等な態度で接する。
異動の挨拶に行った際、部長の榎啓一さんがコーヒーメーカーにお水を入れようとしていて、容器を持って出て来たのには驚きました。部署内で一番偉い人が、毎朝、コーヒーをいれていたんです。自分が一番朝早く出てくるから、という理由で。ぼうぜんとして見ていたら「ここ、私服でいいから」と言われて、「あ、そうですか……」みたいなやりとりをしたのを覚えています。
部署名は「ゲートウェイビジネス部」でしたが、異動するとすぐ、榎さんに「ゲートウェイサービスとは何か」が書かれた紙を渡されました。私が入った時点では、すでに20人から30人くらいの部になっていたかと思いますが、部議には全員が参加し、異動してきたばかりの私も、自分の仕事や役割について毎週、話さないといけなくなりました。