「羽目をはずして怒られた」 伊勢谷友介氏の芸大時代
俳優・伊勢谷友介氏が語る(上)

俳優で映画監督の伊勢谷友介氏(40)は、実は社会起業家の顔も持つ。株式会社を設立し、様々な企業と組みながら、社会的課題や環境問題、次世代の人材育成などに取り組むプロジェクトを展開。東日本大震災の際には、復興支援にもかかわった。すべては、東京芸術大学時代に映画監督を志したことに始まる、と伊勢谷氏は語る。
子供のころはファッションデザイナーになりたかった。
年の離れた腹違いの兄が山本寛斎。その影響で、ファッションデザイナーになりたいと思っていました。だったら、芸術分野で一番の学校で勉強しよう。それが芸大を受験した動機です。
学校の成績は小学校のころからいつも中の上くらい。芸大を受験すると言ったら、周りから、何浪もするはめになるからやめておけと忠告されました。実際、私が入った美術学部デザイン科には、一浪どころか、十浪して入学したつわものもいました。しかし、私の意志は固く、芸大一本に絞って受験。幸い、一発で合格しました。私にとっては、いちかばちかの人生で初めてのギャンブルでした。
芸大は入るのが難しいとよくいわれますが、学部や学科によると思います。筆記試験の点数よりも、まずは作品の評価が優先され、勉強がそれほどできなくても受かる場合もあります。少なくとも私の時はそうでした。多様な人たちを許容するところが、アートを学ぶ大学なのかなという気もしました。