「羽目をはずして怒られた」 伊勢谷友介氏の芸大時代
俳優・伊勢谷友介氏が語る(上)
今でも、大学時代のツーリング仲間とは交流があり、ときどき、みんなでツーリングに行きます。芸大を出ても、アートで食べていくのはなかなか大変なので、仲間も大半は一般企業に就職し、今は会社内でそれなりの地位に就いている人が多いですが、ツーリングは今でもキャノンボール方式ですね。そのへんは、みんな変わっていません。
途中で、デザイナーから映画に転向した。
最初は、石岡瑛子さんがハリウッド映画の「ドラキュラ」で米アカデミー賞衣装デザイン賞をとったのに感銘を受け、映画のファッションの仕事をしたいと思っていました。それで、よく映画を見るようになったのですが、そのうち、映画自体に興味を覚え、映画監督になりたいなと思うようになったのです。
映画の世界では、作品の空気や重力感、すべてが監督で決まります。つまり、監督の世界観が作品に反映される。それがとても魅力的に映りました。
くしくも、大学時代にモデルをしていたことがきっかけで俳優の仕事をするようになり、映画の世界に入りました。俳優なら監督の一番そばにいられるので、監督業も学べる。俳優になったのは、そんな動機もありました。
私のいたデザイン科のよいところは、学問の対象が非常に広いことです。現代美術を研究する学生もたくさんいました。もちろん、映画の研究もOK。私も、デザイン科に籍を置いたまま、自分で映画の勉強を始めました。映画俳優としては、是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」でデビューしました。
(ライター 猪瀬聖)
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