満点から赤点に 自由謳歌した慶応女子高
星野朝子・日産自動車専務執行役員が語る(上)
例えば、先生に対しては、何々先生とは呼ばず、全員「さん」付け。慶応中等部では、先生と呼ぶのは福沢諭吉先生だけだからです。制服もありません。諭吉の建学の精神である「独立自尊」を地で行く感じでした。
生徒は皆、普段はそれほど熱心に勉強せず、部活動に力を入れていました。私もテニス部と器楽部に所属し、テニスの練習で一年中真っ黒。テニスの合間にフルートを吹いていた、という学校生活でした。中間試験と期末試験の1週間前からは部活動が禁止になるので、その1週間だけ集中して勉強し試験に臨むという、文字通り一夜漬けの試験勉強でした。それでも受験勉強での貯金もあり、3年間ずっと成績は悪くありませんでした。
自由な校風は授業にも反映されていました。一例が歴史の授業です。歴史は、慶応大学の先生が教えに来ていたのですが、その先生の専門は考古学で、授業は毎回、ホモサピエンスやホモ・エレクトス・ペキネンシス(北京原人)の話ばかり。学年の最後にあわてて歴史をたどって、平安時代まで来て終わるという感じでした。おかげで、日本史はいまだに平安時代以降はさっぱりですが、ホモサピエンスには異常に詳しくなりました(笑)。
高校は予定通り、慶応義塾女子高校に進んだ。
中等部の女子のほとんどは慶応女子高校に進学しますが、一貫校ではないので、受験して他の高校に行く人もいます。特に学芸関係に秀でた生徒は、この時点で他の高校に行くということがあったように思います。私は特に芸術的な才能もなく、受験したくもなかったので、そのまま慶応女子に進みました。