満点から赤点に 自由謳歌した慶応女子高
星野朝子・日産自動車専務執行役員が語る(上)

「しようと思えばなんでもありの環境で競争心がわかなくなった」と慶応女子時代を振り返る
高校に入ったら、ほとんど勉強しなくなりました。今はわかりませんが、当時は、中間、期末試験の時に、試験を監督する先生がいませんでした。先生は、答案用紙を配ったら、さっさと退室します。ですから、カンニングはもちろん禁止でしたが、カンニングしようと思えば、し放題。
それも含めて生徒の自主性に任せるといえばそうですが、しようと思えば何でもありという環境では、私の中で競争心がわかなくなり、勉強するモチベーションがだんだんなくなっていきました。
興味のない科目はさらに手を抜いていたので、試験で赤点をとって、親が呼び出されたこともありました。中学時代はほとんど満点だった私がいきなり赤点ですから、親もびっくりしたようですが、不思議とあまり怒られはしませんでした。親は勉強に関してはまったく口うるさくなく、私が赤点をとっても、「落第だけはしないようにね」という感じでした。
高校ではスキー部に入りました。スキー部は、冬の合宿でしかスキーができないので、夏の間はテニスをするという、ゆるい楽しい部でした。学校のクラブの他に、テニスは自宅の近くのクラブに入って、休みの日はそこでテニスをしました。勉強をしなくなった私の高校生活は、テニスとスキーに明け暮れ、さらに一年中真っ黒に日焼けして、とにかく楽しい時間を過ごす毎日でした。
(ライター 猪瀬聖)
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