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事前の語学学校における英語の勉強と事後のパン屋さんでの研修を含めると、都合2年半、アメリカには滞在したのですが、その間、パンとお菓子の世界で最も大きな大会がアメリカで開催され、日本のパン屋さんたちが主催する食事会で、フランスのパン職人、エリック・カイザー氏と出会いました。

フランス中のパン職人が「あそこだけはやめておいた方がいい」と噂し合うほど、きつい職場で修業した

フランス中のパン職人が「あそこだけはやめておいた方がいい」と噂し合うほど、きつい職場で修業した

彼は「50年に一度、出るか出ないかの天才パン職人」といわれていました。パンを作る天才はたくさんいますが、それを理論的に解説できる職人はそういない。その点、彼はすばらしかった。この出会いをきっかけに僕はパリへ渡り、彼の下でパン作りの修業をすることになります。

当時、料理やお菓子の勉強でパリに来る日本人はいても、パンの修業で来る日本人はほとんどいませんでした。しかも、カイザー氏の店はフランス中のパン職人が「あそこだけはやめておいた方がいい」と噂し合うほど、きつい職場で知られていた。今はだいぶ変わったようですが、僕が修業をしていた頃は、職人たちはみな早朝から日が暮れるまで店にいて、出るときは、まつげの先まで粉で真っ白でした。

事前にフランス語を勉強してはいましたけれど、何を言われているのか、ちっともわからなかった。「ほうき」「ちりとり」「掃除」とすべて名詞で指示されて、「ああ、掃除をしろと言われているのだな」と気づく程度。変な話、犬ってこんな風に芸を覚えるのだろうか、と思ったくらいです。怒られたり、口汚くののしられたりしても、何を言っているのか全然わからないから、怖くもありませんでした。

そんなある日のこと、カイザー氏に「朝の6時にオフィスに来てくれ」と呼び出されました。「日本に帰ったらどうするつもりだ?」と聞かれ、「パリにあるようなパン屋さんをやれたらおもしろいですね」という話をしたら、「じゃあ、一緒にやろう」ということに。それから僕は、エリック・カイザーという1人の職人の強固な哲学が入ったパンを日本へ持ち込むべく、どうしたらいいのかを考え始めました。

マーケティングを疑うことから始まった

最初は木村屋にスポンサーになってもらい、その1事業としてやるのもいいかなと思ったんです。しかし、売れているときはいいけれど、売れなくなったらあんパンを売ろう、となるとカイザー氏の哲学には反してしまう。そうならないためには個人でできる範囲からスタートした方がいいと思い、2000年に会社を設立し、翌01年、東京・高輪に27坪の店を出しました。開業資金の一部は親戚から借りましたけれど、木村屋の出資は受けていません。借りたお金は利子をつけて、すでに返済しています。

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