夢は宇宙飛行士 それでも東大蹴って慶応医学部に
佐竹晃太・キュア・アップ社長が語る(上)
結果、現役で合格しましたが、実は、医学部で受けたのは慶応だけ。大学で宇宙の勉強をしたいという気持ちも強く、東京大学理1と私大の理工学部も受験しました。東大理1にも受かったので、迷いましたが、最後はやはり向井さんへの憧れが勝りました。もし慶応に落ちていたら、まったく違う人生になっていたと思います。

慶応医学部在学中は部活のヨットやイベント企画に熱中、「何か新しいことを企画するのが好きでした」と振り返る
大学ではヨット部に所属した。
慶応医学部は、私学医学部最難関と言われるだけのことはあり、周りの学生はみんな優秀でした。私の印象では、私のような一発勝負の受験組よりも、高校時代にトップの成績を取り続けないと医学部推薦を勝ち取れない内部進学組のほうが、できる人が多かったように思います。
私自身は、せっかくの大学生活を楽しもうと、医学部体育会ヨット部に入部しました。慶応医学部のヨット部は、医学部体育会の大会で毎年優勝争いに絡み、最低でも表彰台には乗るほどの強豪。ですから、練習は非常にハードでした。毎週土日は、神奈川県藤沢市の江の島で合宿。平日も、4月から大会のある夏までは、何日かは東京から江の島に通っていました。春から秋までは、ヨットが生活の中心になりました。
部活が休みになる冬は、医学部の友達とよくいろいろなイベントを企画したり、旅などをしたりしました。特に面白かったのは、他の大学の学生を交えたイベントの企画。私と友人の2人で企画したのがきっかけでしたが、ふたを開けると結局100人以上が参加し、大盛況。とにかく、自分でなにか新しいことを企画するのが好きでしたね。
そんな毎日でしたので、正直、勉強はあまりしませんでした。授業も、暗記科目が多いため、面白味を感じず、単位をとるのに必要だから仕方なくという意識が強かったと思います。