慶応医学部卒の内科医、米留学で起業に目覚める
佐竹晃太・キュア・アップ社長が語る(下)

医療アプリ開発ベンチャーとして注目を浴びる、キュア・アップ(東京都中央区)の佐竹晃太社長(34)が振り返る、母校、慶応義塾大学医学部の思い出。決して優等生ではなかったという佐竹氏。しかし、その後、経営学修士(MBA)留学などを経て起業し、医療ベンチャーの育成を目指す母校からも、応援される存在となった。
医師国家試験に合格し、医師としてのキャリアをスタートした。
医学部は6年制ですが、当時の慶応医学部は最初の2年間が教養課程、3年目から専門課程が始まります。病院内実習は5年生から。6年生になると授業はほとんどなくなり、学生は医師国家試験の勉強に集中します。
医師国家試験の合格率は9割弱。落ちると恥ずかしいので、それが勉強するモチベーションになります。試験内容は私の嫌いな暗記問題が中心ですが、とにかく落ちたら恥ずかしいとの思いで、必死に勉強しました。
大学に入るころは、医者になろうか宇宙の研究をしようか、迷っていましたが、このころは、迷いはありませんでした。ただ、ずっと医者を続けるかどうかは、依然、自分の中でも確信が持てませんでした。
医師国家試験に合格すると、最初の2年間は研修医としてどこかの病院に勤務し、その後、専門医への道を歩み始めます。慶応医学部の卒業生は通常、慶応大学病院か関連病院で研修しますが、私は北海道の病院で2年間、研修することにしました。生まれてから24年間、ずっと東京だったので、一度東京から離れて新しい環境に身を置きたいという単純な動機でした。