任天堂の米国秘話 ゲーム業界危機を救ったマリオ
米シアトル在住ライター 丹羽政善(下)

シアトル・マリナーズの元CEOのハワード・リンカーン米国任天堂取締役(右)と米国任天堂のドン・ジェームス上級副社長
業績が大幅に回復し始めた任天堂。長いトンネルを抜けそうだが、もともと「世界の任天堂」づくりの原動力となったのは任天堂の米国法人、米国任天堂だ。飛躍の引き金となる一方で、大きな危機と直面した。シアトル・マリナーズの元CEOのハワード・リンカーン米国任天堂取締役とオペレーション担当上級副社長のドン・ジェームス氏の2人の幹部を直撃し、知られざるゲーム王国の草創期の姿に迫った。
ユニバーサル・スタジオから訴訟
ドンキーコングに話を戻せば、ヒットして間もなく、訴訟に巻き込まれた。1982年春のある夜、米国任天堂の顧問弁護士だったリンカーン氏のところに荒川氏から電話がかかってきた。
「大きな問題が起こった」
聞けば、米映画会社ユニバーサル・スタジオから、京都の山内溥・任天堂社長(当時)の元へテレグラムが届き、ドンキーコングが、同社が制作した映画「キングコング」(1976年公開)とキャラクターもストーリーも似ていて、商標を侵害している――という指摘だったそうだ。
「確か、10日以内に、ドンキーコングで稼いだ利益を渡すようにと書いてあったかな」 当時、ユニバーサル・スタジオとようやく事業が軌道に乗ったばかりの米国任天堂といえば、その規模はケタ違い。
米国任天堂とライセンス契約を交わして、ドンキーコングをホームビデオゲームに移植して販売していた「コレコ」にも同様の通達があり、コレコはあっさりロイヤリティを払うことで和解した。それに対して米国任天堂は、ユニバーサル・スタジオの要求に屈することなく、結果として訴訟に発展したが、裁判では任天堂の主張が全面的に認められている。
任天堂の弁護士はカービィさん
「彼らはそもそも、キングコングの商標権を持っていなかったんだ」とリンカーン氏。単純なミスといえば単純なミスだが、実は、キングコングの権利関係というのは複雑に入り組んでおり、ユニバーサル・スタジオとしては、1976年に「キングコング」を製作した際、必要な版権を買い取ったつもりだったが、商標権は含まれておらず、よって、任天堂を訴える権利そのものがなかったのだという。