授業さぼり麻雀三昧、「神の手」外科医の浦高時代
天野篤・順天堂大学医学部付属順天堂医院院長が語る(上)
こうした持久力というのは、人生においても外科医としても、非常に大事だと思っています。人生諦めたら終わりですし、心臓手術も、だいたい2時間半から3時間、手術室に入りっぱなしなので、持久力が欠かせません。若いころは、16時間連続で手術室にいたこともあります。最近も6時間いたことがありました。持久力は私の強みだと思っています。
浦高在学中、父親が心不全で倒れ、医者になることを決意した。
父親は私が中学生のころから体が弱く、母親は私に父のために医者になれと言っていました。ただ、高校時代は私も反抗期だったので、親がそう言うなら、医者はやめてプロスキーヤーか建築家になろうと思った時期もありました。
ところが、高校2年の時に父親が心不全で倒れ、入院。その時、やはり医者になろう、医者になって父の病気を治そう、そう決心しました。
しかし、その割には相変わらず真面目に勉強せず、成績も低迷したまま。1県1医大制度が整備されだした頃で、油断していました。私より成績が悪くても私立医大に合格する人もいたので、なんとかなるだろうとタカをくくっていたのです。
学校の成績が悪いことは親も知っていましたが、特に何も言われませんでした。母親も胃潰瘍で手術をするなど体が弱かったですし、家を新築したばかりで借金の返済に追われていました。正直、親は生きていくのに精一杯で、子供のことを気に掛けている暇はなかったのだと思います。また、息子が浦高に合格した時点で、達成感のようなものがあったようです。
その結果、私は、浦高は何とか卒業したものの、大学受験に3度失敗するはめになりました。
(ライター 猪瀬聖)