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 入社して半年間は工場での研修。その後は、新設の経営企画室長を命じられた。部下はおらず、仕事の中身も決まってはいなかった。幼いころから慣れ親しんだ会社ではあったものの、「社長の娘さん」とみられる重圧も同時に感じていた。

「数字だけを見てはいけない」と父に諭される

最初に気になったのは、人事制度の不透明さだ。「古い会社ということもあり、給与や賞与の基準が明確ではありませんでした。役が付いた若い人よりも社歴の長い年配者の給与が高い逆転現象も起きていました」。

正方形の生八ッ橋でジャムを包んだ、「nikiniki(ニキニキ)」の菓子「カレ・ド・カネール」

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信用調査会社で総務を担当していた経験を生かしてコスト削減の提案もしてみたが、且久氏にはこうクギを刺されたという。「数字だけを見てはいけない」――。

聖護院八ッ橋総本店の社員数は約200人だ。改革に着手するにあたり、可奈子氏は毎朝、全社員の出勤簿を付けることから始めた。全社員の顔と名前を一致させることから始めようと思ったからだ。

「父にはこう言われました。出勤簿を付けていれば誰がどこで働いているのかもわかるようになるし、休みがちな人がいれば『どうしてだろう?』と考えるようにもなる。『家族の介護をしている』などの理由までわかれば人間模様も見えてくるから、と」

米国で学んだ経営学を手掛かりに、査定の基準を数値化することに取り組んだ。先輩と直属上司の2人による評価を軸にして昇給・賞与を決める仕組みを作ったが、その計算式を確立するまでには約5年、全員がその型に収まり、矛盾がなくなるまでには約8年の歳月をかけた。

なぜ、それほど長い時間をかけたのか。

「最初のうちは私も焦っていろいろと父に意見をしていましたが、父に言わせると、300年の歴史からすれば8年なんてあっという間だ、と。考えてみれば、父の言う通りかもしれないと思いました。給与体系に基づいてローンを組んでいる社員さんもいます。一人ひとりの生活を念頭に置いた場合、改革に着手するのは早いほうがいいのですが、変化は緩やかでいい、と考え直したのです」

理論とは違う、父の考え

聖護院八ッ橋総本店では今なお、年2回の賞与は且久氏から社員一人ひとりに手渡ししている。「この規模だからできることだと思います」と且久氏は言う。そんな父親の考えを、可奈子氏はこんなふうにおもんぱかって話した。

「手渡しするのが目的というよりは、社員さんと話す機会を増やしたいと思ってやっていることだと思います。わざわざアポイントを取って社長に会うのは気が引けるという人でも、この日なら1対1で話ができますから」

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