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小さいころの夢はバレリーナでしたが、ホームステイ前後は、いかにも子供の単純な発想ですが、外交官になりたいと思いました。翌年の高1の夏休みにも、同じ場所でホームステイしました。

国語の授業の副教材で、難民の人権問題に目覚めた。

「授業で犬養道子さんの『人間の大地』を読んで、怒りが込み上げ、そのやり場に困った」と振り返る

「授業で犬養道子さんの『人間の大地』を読んで、怒りが込み上げ、そのやり場に困った」と振り返る

外交官を目指したのは一瞬でした。すぐに、将来は難民支援にかかわりたいと思うようになりました。

きっかけは、中3か高1か忘れましたが、国語の授業で先生が副教材に使った、犬養道子さんの「人間の大地」。犬養さんがアジアやアフリカの難民キャンプを旅しながら、難民が生まれる背景を戦争や南北格差、国際政治などの観点から論じた本で、当時の私には衝撃的な内容でした。読み進めながら怒りが込み上げ、そのやり場に困りました。この本を読み、将来は難民を助ける仕事をしようと強く思いました。

桜蔭の同級生の中には、高校時代、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でボランティアをしている人もいました。私もしたかったのですが、親が勉強以外の活動を認めてくれなかったため、同級生を羨みながら、大学に入ったら絶対にボランティア活動しようと決めました。

東大文科一類(法学部)に進んだ。

桜蔭に入る時と同様、東大に行こうと思ったのは、単にテストの成績が東大の合格レベルに達していたというのが理由です。勉強以外にすることがなかったので、受験勉強を本格的に始めてからは、勉強時間もかなり増えました。勉強法は、基本的には塾の先生が言ったことをひたすらやるだけ。それだけで成績は上がりました。

文系を選んだのは、難民支援の仕事をしたいというのとは無関係で、単に数学が苦手だったから。桜蔭は昔から理系志望者の多い学校で、成績のよい生徒はとりあえず理系に行きます。私も数学がもう少し得意だったら、おそらく理系に行っていたと思います。

文系に決めてからは、最初は文科三類を志望しました。難民支援の仕事に必要な国際関係論を勉強したかったからです。しかし、親から、東大に入ってからでも専攻は変えられるから、文三より偏差値の高い文一に合格する力があるなら文一を受けるよう促され、そうしました。

東大3年の時に、その年の最年少で司法試験に合格。その後、念願のボランティア活動にかかわる。

司法試験の勉強も、女性は手に職をつけたほうがいいという親の意向で始めました。東大では馬術部に入り、頑張って練習して全国大会出場に手の届くところまで来ていましたが、司法試験の勉強のため退部。親との関係はさらに悪化し、ついには高校生の妹と2人で家を出ました。

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