中学1年で相対性理論を考える 海城生は起業家向き
平尾丈・じげん社長が語る(下)

平尾丈・じげん社長
情報検索サイトの運営で高成長を遂げたITベンチャー「じげん」の平尾丈社長(35)。海城中学高校(東京・新宿)時代は、抜群のゲームの腕前で周りから一目置かれる存在だったものの、学校の成績は悪かった。そんな平尾氏がなぜ学生起業家を目指し、どうやってその目標を達成することができたのか、語ってもらった。
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当初、大学進学は考えていなかった。
家が経済的に苦しく、大学に進学することに特に価値を見いだしてもいませんでした。ゲーム開発会社の人に頼まれて、開発中のゲームのバグを発見するデバッグのアルバイトや、ゲーム雑誌に攻略記事を書くアルバイトなどもしていたこともあり、ゲーム業界に就職しようと真剣に考えていました。
また、友達と議論をしても負けたことがなかったので、テストはできなくても、勉強に関してコンプレックスを抱いたことは一度もありませんでした。ですから、周りが高校2年ぐらいから受験モードに入る中、私は高校3年になっても受験勉強とは無縁の生活を送っていました。
ところが、高校3年のある日のこと。テレビの情報番組を見ていたら、慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生起業家の話を特集していました。その起業家は、私より一つ年上の大学1年生。それを見た瞬間、進む方向が大きく変わりました。
当時の私には、自分の置かれた経済状況を何とか変えたいという思いが行動の最大のモチベーションでした。起業してお金をもうければ、家計の苦しい中、やりくりしている母の助けになるかもしれない。だったら、SFCに入学してその学生起業家に弟子入りし、自分も起業家になろう。そう決めました。
調べたらSFCの入試科目で何とか対策をとらなければならなかったのは、小論文でした。さっそく、塾を探して小論文の書き方を特訓したら、1カ月で偏差値が40から70に急上昇。入試にギリギリ間に合いました。
海城の教育方針はベンチャー向きだった。
海城ではけっして勉強熱心な生徒ではありませんでしたが、授業での教え方や海城の価値観というのは、自分に合っていたと思っています。