不登校経験がバネ 保育トップが貫く子供の現場主義
グローバルグループ 中正雄一代表取締役(下)

中正雄一 グローバルグループ代表取締役
尊敬する上司についていきたい一心で、縁もゆかりもない保育ビジネスに飛び込んだグローバルグループ代表取締役の中正雄一氏(46)。しかし、30歳で始めた保育の仕事に、中正氏はのめり込む。保育士資格を取得し、今も保育室に入れば子供に囲まれる「保育士経営者」の原点は少年時代にあった。(前回の記事は「パンの神戸屋から保育園へ トップセールス変えた偶然」)
「あなたが跡取り」母の言葉に反発
東京・飯田橋にあるグローバルグループ本社の入るオフィスビルには、同グループ傘下のグローバルキッズが運営する認可保育所、グローバルキッズ飯田橋園がある。オーダーメードの家具を配置した保育室を訪れると中正氏の表情は一気に「保育士さん」に。お昼寝から目覚めた子供に声をかけ、園で手作りしたおやつを囲んで笑い合う。
自身も2男2女の父親である中正氏は、一貫して「保育現場主義」を唱える。当たり前に聞こえるが、実は、保育ビジネスの経営者の間では、これは珍しいケースという。「保育は現場の保育士と園長に任せておけばいい、と多くの先輩経営者から言われた」と明かす。
しかし、中正氏は初めて保育園を訪れた日に抱いた「現場への深い敬意」を忘れない。現場の人たちと同じ立場になって初めて、「保育士たちの考えを理解し、保育士たちが子供のために理想とする保育を実践していける」と力説する。
製パンを手掛ける神戸屋から転身し、ここまで保育にのめり込むようになった原点は、どこにあったのか。
「僕ね、米屋の跡取り息子だったんですよ」
1972年5月、大阪で生まれた。姉のいる長男。実家は米屋だった。高校と大学ではアメリカンフットボールの選手として活躍。現在はガッチリした体格に明るい笑顔が印象的だが、意外なことに子供の頃は体が小さく、どちらかというとおとなしいタイプだったという。
「母親の言う通りに育った子でした」。母は中正氏が小さい頃から「あなたがうちの米屋を継ぐんですよ」と繰り返し言い聞かせたと言う。母の勧めに従い、小学校では野球チームに入った。中学では姉がやっていたからという理由でバスケットボール部に。しかし、体が小さかった。バスケではなかなか活躍できなかった。勉強もだんだんつらくなっていった。「挫折したんですね」と振り返る。中学2年で不登校になり、しばらく学校へ行けない時期を過ごした。