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視線はこれから保育ニーズが見込まれる海外にも向く。第1弾として、経済成長が続き女性の社会進出も進んでいるベトナムに進出。現地企業との合弁会社を設立する準備を進めている。「保育士たちの待遇改善をはじめとして、旧来の保育に風穴を開け、社会にインパクトを与え続けたい」と目を輝かせる。

子供を真ん中に、大人がタッグ組む

「保育士の社会的地位の向上を目指す」と将来を見据える

「保育士の社会的地位の向上を目指す」と将来を見据える

高校と大学時代、アメフト部で過ごした経験も大いに生きているという。「アメフト部は、チームで動くという視点を僕にくれた貴重な経験だった」。このところ、アメフトは大学生の反則プレーが取りざたされてしまっているが、本来は「チーム構成員の役割がそれぞれに決まっているスポーツ。決して縦の関係ではなく、勝利という目標を中心に選手とコーチ、監督など全員がタッグを組む関係」であり、保育所運営と似ていると話す。

保育所開設には、騒音問題などで近隣住民から反発もある。実際、厳しい言葉を投げかけられることもある。しかし一方で、「保育所ができて地域が明るくなったよ」と声をかけてくれる人もいる。散歩に出てくる園児たちを心待ちにする町の人や、散歩途中で知り合ったおじさんに挨拶して帰るのが日課になった子供。子供を真ん中に、周りの大人がタッグを組む関係ができつつある。

さて、神戸屋から保育業に導いてもらいながら、別々の道を歩むことになった元上司との関係はどうなったか。12年前の独立以来、わだかまりはずっと中正氏の心に刺さっていた。都内の保育所の公募で競合してしまったこともあった。しかし、顔を合わせる機会もないまま、長い月日が過ぎた。

 つい最近になって、元上司の妻から連絡が入った。元上司が病床にあるという。独立以来、初めて会いに行った。妻から「ずっと中正さんのことを気にしていた。あなたのことを誇りに思っていた」と聞き、中正氏は「胸のつかえがすっと取れるようでした」という。

元上司との偶然の出会いから飛び込んだ保育の世界で、自らの少年時代の葛藤と保育の仕事の重みに気づき、情熱を傾ける経営者になった。やはり中正氏と保育の出合いは必然だったのだろう。同社のキャッチフレーズは「こどもたちの未来のために」。卒園後もこどもたちの先に続く道を見すえて、保育所でタッグを組み続ける。

中正雄一
 1972年大阪府生まれ。95年、明治大学政治経済学部卒業後、神戸屋に入社。2003年、神戸屋時代の上司が経営する保育所運営会社、エーワンに入社し、保育ビジネスに関わり始める。06年独立し、グローバルキッズを設立、代表取締役に就任。15年、グローバルグループを設立し社長。グローバルキッズを子会社化。17年、代表取締役のまま社長を後進に譲った。

(藤原仁美)

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