人見知り少女が折れない官僚へ 村木氏育んだ土佐中高
村木厚子・元厚生労働事務次官が語る(上)
高校3年のときは自分で授業のカリキュラムを組めるのですが、一番少なく授業を取ると、週に5時間ぐらい自習時間ができるんです。その5時間、全部図書館に行っていました。進学校でしたが、それでも全然構いませんでした。
干渉はしないが、必要なときは手助けしてくれる先生たちだった。

「家庭の事情で修学旅行に行けなかったけれど、肩身の狭い思いをすることもなかった」と振り返る
先生は「成績落ちてるぞ」とか「進路はどうするつもりだ」とか、ほとんど言いませんでした。でも、放任や無関心ということではありません。いつも気にかけてくれていて、何かあればいつでも相談に乗ってくれる存在でした。
実はいろいろ事情があり、中学2年生のころに父が失業してしまったんです。私立の学校はやめなければいけないと思ったのですが、父が「何とかがんばって行かせてあげる」と言ってくれて。学校は続けられましたが、かなりアルバイトをしました。そのことで先生に相談に行くと、バイトを許可してくれて、奨学金の手続きなども親身に支援してくれました。
こうした家庭の事情もあって修学旅行は行かなかったのですが、そのときもずいぶん心配してくれたと思います。旅行に行かなかった生徒たちを集めた授業が、午前中3時間だけありました。授業では、練習のために残っていた野球部の連中なんかと、毎日ずっと外でバレーボールをやっていましたね。だから、肩身の狭い思いをするとか、追いつめられるとかいったことは一切ありませんでした。
これは役所を退官した後のことですが、高知県土佐清水市の市民大学で講師を務めたことがありました。その際、中1と高1で担任だった先生がわざわざ聞きに来てくれたんです。剣道部の顧問で厳しい人でしたが、いつも味方になって応援してくれた先生です。楽屋に顔を出してくれたときは、本当にびっくりしました。卒業して40年あまりたっても生徒一人ひとりを大事にしていると実感しました。
文武両道の校風で、生徒も面白い子が多かったですね。みんなそれぞれに一生懸命やっていて、ライバル同士のぎすぎすした競争などはあまりない学校でした。私は話の輪の中に積極的に入っていける子ではなかったけれど、それで仲間外れにされるというようなことはありませんでした。みんなと仲良くワイワイやる子がいる一方で、ぽつんと図書館にいる子がいてもいい、ということなんでしょうね。
土佐中・高の名物行事といえば、「やぐら」だ。
「やぐら」は運動会の応援に使う、高さ5メートルにもなるチームシンボルです。1カ月近くかけて、みんな夜なべ仕事でがんばるのですが、実は自分がそこに積極的に加わった記憶はないです。でも、学校の中のそういう雰囲気は好きでした。やぐら作りに参加しないからといって「あいつはダメだ」ということも言われませんしね。
中1のときからクラスの2、3人の女の子が、高校ぐらいになると男の子も1人2人、あきらめずに私に声をかけてくれました。人のお世話ができるタイプの子たちですよね。その子たちがずっと見放さずに面倒を見てくれて、何とかやってこられたと思います。いまだに付き合いがある子もいます。中高一貫だったので、中学校の一番難しい年ごろにいい友達ができ、高校に行ってもずっとつながったというのは恵まれていました。