苦しみ抱える人の居場所つくる 「教育への志」を実践
LITALICO執行役員 深沢厚太氏(下)
一方的に主張を押し付けるのではなく、相手の意見を引き出す。小さな成功を積み重ねながら、徐々に周囲を巻き込んでいく。コンサルで培ったスキルを教育の現場で試したいという思いが強まり、マッキンゼーを退職して取り組んだのが教育NPOの設立だ。
名刺さえ受け取ってもらえない日々

苦しみを抱える人の居場所をつくりたいと語る
特別免許制度を活用し、社会人を教壇に送り込むNPO法人Teach For Japan。立ち上げ当初の常勤スタッフは、代表と深沢氏の2人のみ。教育現場での実績も、大企業社員の肩書もなく、回る先々で話を聞いてもらえないことが続いた。「名刺さえ受け取ってもらえないことも珍しくなかった」
「活動実績がない団体を学校現場に入れることはできない、と。それならまずは、学外で実績をつくるしかないと考えました。公共スペースを活用し、貧困世帯の子どもたちに大学生が授業を教える"寺子屋"活動をスタート。ちょうど東日本大震災が起きた直後、同じ枠組みで被災地から東京へ避難してきた子どもたちを"寺子屋"で支援したことがきっかけで、少しずつ世の中に活動を知ってもらえるようになりました」
ゼロから始まった組織の共感の輪は広がり続け、ボランティアスタッフの数も100人規模まで膨らんだ。
「ミッションに向けて、やるべきだと思うことを素直に実践する。僕は僕の実力だけで勝負するしかないんだ、と気負っていた部分も初めはありましたが、思いが伝わればいろいろな人が力を貸してくれるということは意外な発見でした」
社会課題の解決を仕事にするということ
しかし、活動が軌道に乗る一方で、NPO活動で生計を立てていくことの難しさにも直面していた。
「寄付は集まるようになっても、それはあくまで活動のためのもの。月収数万円の生活を1年ほど続ける中で、社会課題の解決に人や資金が集まりにくい日本の現状に、疑問を持つようになりました」
2年間の海外留学を経て、再びマッキンゼーで働きながら「社会的なインパクトと、持続可能性という意味での経済的なインパクトを両立できる場所」を探していたとき、出会ったのがLITALICOだった。株式会社として、資金、テクノロジーなどの資源を効率よく投下できる。事業開発の自由度が高まれば、新たな人材も巻き込める。
2015年8月、知人に紹介された同社の長谷川敦弥社長の言葉を聞いたときのことを、深沢氏は「ガーンと打たれるような衝撃があった」と振り返る。
語られたビジョンは「障害のない社会」をつくりたい、というものだった。例えば、今の社会に眼鏡やコンタクトレンズがなかったら、「障害者」としてカテゴライズされる人は増える。障害は人ではなく、社会の側にあるもの。だからこそ、そこに技術やサービスが介在することで皆が「居場所」のある社会になる、と。
それは、まさに高校時代、教育の道を志す原点となった「苦しさを抱える人の居場所をつくりたい」という思いにつながるものだった。