変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

子ども扱いしないといえば、遠足でよく桂浜に行ったのですが、現地集合のときもありました。そのとき、何人かの生徒は前の夜から行って、浜辺で月見をしていたらしいのです。でも、先生は見て見ぬふりをしてくれたみたいです。

「中学から自主自律を重んじる学校に通わせてもらい、全部がその後の仕事につながった」と振り返る

「中学から自主自律を重んじる学校に通わせてもらい、全部がその後の仕事につながった」と振り返る

昼休みは、なぜかフォークダンスをするのが伝統でしたね。全体でみると男子の方が多いのですが、フォークダンスに出てくるのは大体いい感じで男女半々くらい。昼休みにフォークダンスって、変ですよね? 中高一貫で、高校生ぐらいになるともう恥ずかしいのを卒業しているからできるのかもしれませんね。

ベランダから見ている子も多かったけど、私は見ているよりは踊ってるほうがいいかな、と思い、よく出て行っていました。対人恐怖症でしたが、踊るのはいいんです。だって、しゃべらなくていいじゃないですか。無理やり隣の人が回ってくるので、一緒に踊る人を探さなくていいし。

女性が働き続けられる職場が少ない時代、「辞めさせられない仕事」を探した。

高校時代、将来の職業についてあまり明確な希望はありませんでした。経済的な事情から、当初は大学に行くつもりもなかったので、高校3年になっても図書館で本を読んでばかりいましたし、夏休みはバイトに明け暮れていました。でも、父が「下宿しないで自宅から通う大学なら行かせてあげられるんじゃないかな」と言ってくれたので、高3の2学期ぐらいに進学することを決めました。大学に行ったら、もっと可能性が広がるだろうと考えたからです。

医学部や難関国立大に進む生徒も多い進学校でしたが、進路指導はほとんどありませんでした。自主性に任せていたんでしょうね。私は受験を決めてからあわてて先生に相談に行き、補習に出させてもらいました。

進学先を高知大学の経済学科に決めたのは、就職を考えたときによさそうだと思ったからです。父が苦労して学校に行かせてくれたので、ちゃんと自立しなきゃ、という思いがありました。漠然と、辞めさせられずにずっと続けられる仕事に就こうと考えました。当時、四大卒の女性の就職先は限られていたので、選択肢は先生になるか公務員になるかくらい。ここでその後の人生が決まったわけですね。中学から自主自律を重んじる学校に通わせてもらい、大学の経済学科にも進学できて。全部がその後何十年かやる仕事につながったと思います。

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