世界へ飛び出す原点は青学初等部 現代音楽の望月京氏
作曲家・望月京氏が語る(上)

作曲家・望月京氏
現代音楽の作曲家として日本と欧州を拠点に世界で活躍する望月京氏(49)。最近は脳科学に触発された作曲を手がける一方、音楽評論、芸術論など多彩な分野へと活動が広がる。その望月氏が小学校時代を過ごしたのが青山学院初等部(東京・渋谷)だ。初等部では低学年から詩を書き、数々の泊りがけの活動で地引網や船旅などを体験。通知表もない環境で、創造性や探究心を育んだ。
幼稚園生ながら、自ら行きたい小学校を選んだ。
母に言わせると、いくつかの小学校の中から「神様のいる学校に行きたい」と言って、自分で(キリスト教系の)青学初等部を選んだそうです。それもあってか、青学の、特に初等部にはとてもポジティブな記憶があります。
小1と小2の担任だった高村喜美子先生は特に印象に残っています。詩人でいらして、生徒に詩を書かせていました。よくおっしゃっていたのは、「どんな人にも何かを感じる力があって、それをすぐに言葉にすれば誰でも詩人です」というようなことです。クラスの中に、言葉にするのが苦手な子っていますよね。そういう子でも確かに創造的な能力ってあるな、と実感しました。今でも覚えているのは「風が吹いて髪の毛がお祈りの形になったよ」というクラスメイトの詩です。風で髪がくしゃくしゃになってこういう(手を合わせたような)形になった、ということですけれど、子ども心に「すごいなぁ」と感服しました。
高村先生のクラスでは、感動したことを何でも自由に書く「先生、あのね」という「なんでもノート」がありました。朝提出すると、先生が返事を書いてくださり、帰るころに戻ってくるんです。いい表現には赤ペンで丸を連ねた傍線がついていて、感想が書いてある。今考えると、40人ぐらいのクラスの全員に、毎日のように返事を書くのは大変だったと思います。でも、自分が投げかけたものに対する反応があるって、うれしいですよね。それでまた書きたくなりました。
母はそのノートを今もとっていて、32冊ありました。自分が書いたものでいうと、例えば筆圧が急に弱くなっているところがあって、高村先生の「もっとしっかり濃く書きましょう」というコメントに、「ノートが痛がってかわいそうだから弱く書くことにしたの」と返信していました。私、そんなにいい子だったかな、と思いますけど。ほかにも「妹の足のように細いきゅうりを洗ったら、(水滴がついていて)うれし涙を流していました」とか。型にはまらない表現に丸がついていましたね。約束を守ることなどについてとても厳しい先生でしたが、言葉や感性を大事にされていたと思います。