仕事に役立つ心理学、あふれる「もどき」に注意
「ビジネス心理学 100本ノック」 榎本博明氏
周囲とそういうかかわり方をしてきた大学生も、会社に入れば段違いに濃密な上司・部下の人間関係に放り込まれる。対人関係のルールが激変するのは、大きなストレスにつながる。「上司や同僚に自分の考えを、ふさわしい言葉で表現するスキルを養わないと、ストレスを抱え込む結果になりがちだ」と榎本氏は懸念する。言葉の力はビジネスパーソンとしてのパフォーマンスを高めるうえでも欠かせない。
知識や教養が自信をもたらす
表現力やコミュニケーションスキルの前提として、榎本氏が重視するのは知識の量だ。「知識の基礎がないと、自信を持って言葉を組み立てられない。インターネットの検索でにわかに得たような情報では間に合わない。自分の頭にもっと知識を詰め込む意識を持ってほしい」と促す。培った知識に基づく議論が思考の軸を太くする。「きちんと本音で語り合える仲間を持つのは、『いいね!』のプレゼント合戦のような表面的なつながりにとどまらない結び付きを生む。メンタルの安定にもプラスだ」という。
ストレスを受けても簡単に潰れない「ストレス耐性」を養うのも精神の健康を保つのに意味がある。少子化が進む現在、大学が学生を「お客様」扱いする傾向が強まっており、厳しい態度は影を潜めがち。親も昭和時代に比べ、全般にやさしいようだ。そうして育った若者も会社では結果を求められ、できなければマイナスの評価を受ける。「親にも言われたことのない『ひどいこと』を言われたとショックを受け、辞める人もいる。ただ、ストレス耐性が低いままだと転職しても同じような壁にぶつかってしまう」(榎本氏)
自分の実力を過大評価する傾向を心理学では「ポジティブイリュージョン」と呼ぶ。自分は精いっぱい働いているのだから、高く評価されるべきだと思い込んでしまうのも、ポジティブイリュージョンのなせるわざだという。榎本氏は「日本人は誠実さやまじめさに関するポジティブイリュージョンが強く、『こんなに誠実に、まじめに仕事をしているのに、評価してもらえない』といった不満を抱きやすい。思い込みと結果を切り離して考えるようになれば、一人でもやもやする事態を避けやすくなる」と話す。
グローバル化が進んだことも心理学的アプローチを学ぶ理由になっていると、榎本氏は言う。従来の日本的な商慣行で、「そこまではやらないだろう」というような判断は通用しにくくなる。裏切りやルール違反ととられるような行為も、ハングリーな諸外国のビジネスパーソンにとっては選択肢になり得るからだ。
M&A(合併・買収)のような交渉や取引では、グレーな仕掛けも飛び出す。米事務機器大手ゼロックスの買収案件でも、いったんは富士フイルムホールディングスによる買収で合意が成立したはずなのに、強引な巻き返しで暗礁に乗り上げた。そんなビジネス環境に日本人も既に巻き込まれている。
「えげつないほどに強引なねじ込み方の下地になっているのは、大抵の場合、心理学の応用。ストレス耐性が低いと簡単にひねられてしまう。『みっともない』といった日本的な感覚が通用しない相手は、こちらを陥れるようなだましや容赦ない弱点への攻撃を仕掛けてくる。ストレス耐性を高めつつ、反撃を試みるのにも心理学を使いこなしてほしい」(榎本氏)。心理学は英語に続く、グローバルビジネスの必修科目になっていくかもしれない。
心理学博士。1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝勤務の後、米カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学大学院助教授などを経て、MP人間科学研究所代表。著書に「『上から目線』の構造」「かかわると面倒くさい人」(いずれも日本経済新聞出版社)など。