灘高で学んだ「人は人」 エンジェル投資家・谷家氏
谷家衛・あすかホールディングス会長が語る(上)
テニスは今も週2、3回やっています。現在は仕事の拠点を香港に移しているのでテニスも基本的に香港でやっていますが、日本に帰ってきた時は、日本のテニス仲間とよくテニスをしています。マネーフォワードの辻庸介社長もその一人です。
成績はいつも最下位争いをしていた。
こんな感じだったので、成績はいつも学年全体でビリから数えて10番以内でした。
でもそんな自分の成績を見ても、別に何とも思いませんでした。焦りとか、コンプレックスとか、そういう気持ちもまったくなし。たぶん、私と同じく成績の悪かった他の生徒も、同じような気持ちだったと思います。
灘は校則が少なく自由な雰囲気の学校ですが、生徒同士も自由というか、人は人、自分は自分という考えの持ち主が多かったように思います。だから、勉強ができなくても落ち込むことはないし、学校の中で疎外感を味わうこともありませんでした。必要な時は、周りにいる勉強のできる友達に聞くと、みんな親切にわかりやすく、問題の解き方や勉強の要領などを教えてくれました。
また、人は人、自分は自分という考え方なので、勉強に関してもその他のことに関しても、他人の目を気にすることもなく、みんな自分の個性を思い切り発揮できる雰囲気があったことも、よかったと思います。
実際、灘には個性的で面白い生徒が大勢いました。例えば、放課後に他校の女子とデートするのにズボンがしわくちゃではまずいと言って、ズボンを脱ぎ、海パン姿で授業を受けている変な友達もいました。そうかと思えば、数学が大好きで女性よりも数学が美しいと言って勉強している人や、ほとんど勉強しないのに成績がめちゃめちゃ良い、まさに天才のような人もいて、本当に多様性に富んでいました。
私自身は、いつも人を笑わせたくて、よく友達相手にボケたりしていました。相手が喜ぶとそれがうれしくて、さらに相手を笑わせようとわざと人前でコケたりして、「わざとらしい」と言われながらも自分の個性をアピールしていました。
個性的な生徒が多いのは、もともと個性的だった子どもが灘に集まってくるという面もあるかもしれませんが、灘の自由な雰囲気が一人ひとりの個性をより伸ばしたように思います。
灘校出身者は、他の進学校に比べてサラリーマンになる人が少ないとよく言われますが、それは、こうした個性を育む灘の校風や、自分の個性も他人の個性も大事にする灘校生の気質が影響しているのではないでしょうか。
(ライター 猪瀬聖)