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「社長の私がつくった雑誌でぴあという会社は成長してきましたが、その創業の雑誌をやめるという決断を社長がしたということは、もう出版社ではない、会社が変わろうとしているんだという、社員への強いメッセージにもなって伝わったと思います」

危機のときも、前に進むときも、最後は胆力

経営者には先が見えていないといけないと語る

経営者には先が見えていないといけないと語る

――好調なときも危機のときも、先手を打ってきました。変化の激しい時代に経営者に求められることは何でしょうか。

「先が見えていることだと思います。雑誌がまだ好調なときにチケット販売を始めましたが、もし当時、コンサルティング会社に助言を頼んでいたところで、到底、チケットビジネスを始めるべきだなんて回答は出てこなかったでしょう」

「危機のときも、前に進むときも、最後は胆力ですね。決めるということは責任をとるということです。決めないことには進まない」

――半世紀近く経営トップを続けていますが、後継者は考えていますか。

「デジタルシフトや上場、経営危機と、ずっと走り続けてきましたから、正直なところ、最近までは全然考えていませんでした。しかし経営危機も乗り越えて、次のステージに行こうとしています」

「『100年先も残る企業を目指そう』と言っているうちに私ももう68歳。何歳までとは決めていませんが、自分の体と頭がしっかり動くうちに決めたいと思っています。最近も取締役会で、経営者に求められる条件について話しました」

「まずは、利益を追求しつつ社会に貢献することを車の両輪として前に進む、これを実現しようとする高い志と強い意志を持っていることです。これが一番重要ですね。そして、先が見えること、自己犠牲の精神も必要です」

――ぴあという会社は何を目指していくのでしょうか。

「19年はラグビーのワールドカップ、20年には東京五輪があり、どちらも当社がチケット販売業務を受託しています。さらに20年には横浜市で自社運営する1万人収容の『ぴあアリーナMM』も完成予定で、エンターテインメント企業としてより深化していきます」

「エンタメや文化をより多くの人が享受できるような環境整備も含めて、人々の人生を豊かにできる会社になりたいと考えています。チケット流通だけではなくて、興行を主催したり、アプリ版の『ぴあ』を創刊したり。『感動のライフライン』と社内で呼んでいるのですが、バリューチェーンとしてつないでいこうとしています」

矢内広
 1973年中央大法卒。在学中の72年に雑誌「ぴあ」を創刊。74年にぴあ株式会社を設立し、社長に就任。84年にチケット流通事業に参入。2003年、東証1部上場。福島県いわき市出身。

(安田亜紀代)

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