夢のラーメンストーリー ハイデイ日高会長 神田正氏
ラーメン店「日高屋」の創業者、神田正・ハイデイ日高会長が波乱に富んだ半生を振り返る「仕事人秘録」。もうかる事業モデルを追求する貪欲さと緻密さが秘められたその軌跡をお読みください。

ハイデイ日高の神田正会長

日高屋の埼玉県内の店舗

ホンダで正社員になるが、辞めてしまう(1958年ごろ、一番左が本人)

浦和のラーメン店をやめてからは大宮で転々とし鍋を振った。写真はイメージ=PIXTA

従業員に売り上げを持ち逃げされたことも。写真はイメージ=PIXTA

西川口西口店はいまも同じ場所で「日高屋」に名前を変えて営業している

経営計画発表会で語る神田氏

創業から26年で店頭公開にこぎ着けた(右から2人目が神田氏)

「ラーメン館」に見切りをつけ「日高屋」に業態転換した1号店はいまの成長の原点(東京都新宿区)

定番メニューは変えず、期間限定メニューで需要の変化に対応(2004年11月のメニュー)

「ちょい飲みできる店」を強調した「赤日高」(東京都新宿区、日高屋西新宿1丁目店)

行田工場を拡充、600店体制に備える(埼玉県行田市)
(最終回)次の狙いは「首都圏ローカル」 住宅街の私鉄駅に金鉱

「フレンド社員感謝の集い」は経営理念を共有する場でもある
神田正
1973年大宮市(現さいたま市)に個人経営店「来来軒」を開店。78年、有限会社日高商事を設立して社長就任。98年ハイデイ日高に商号変更。2009年から現職。埼玉県日高市出身。
1973年大宮市(現さいたま市)に個人経営店「来来軒」を開店。78年、有限会社日高商事を設立して社長就任。98年ハイデイ日高に商号変更。2009年から現職。埼玉県日高市出身。
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