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私が慶大に進学したのも、松永さんや親しくしていただいていた年の近い先輩方の存在が大きかったと思います。本当は建築家になりたくて、国立大の建築学科を目指していました。ただ、学力が足りず二浪していた1984年の秋、松永さんが主将だった慶応ラグビー部が明治大に劇的な逆転勝ちを収めたのです。その後、対抗戦全勝優勝。大学選手権準優勝。それらの試合を見てやはり慶応でラグビーがやりたいと思い、建築への道はあきらめて商学部に入学しました。

戦績が振るわない時期に慶応大ラグビー部主将に指名された。

慶大時代、バックスとして活躍した=本人提供

慶大時代、バックスとして活躍した=本人提供

ラグビー部に入部して1年目に慶応は当時の中野忠幸主将の下、大学選手権で優勝(明治と両校優勝)。抽選で社会人優勝のトヨタ自動車との日本選手権に進み、日本一を勝ち取りました。ただ、その後は低迷し、3年生のときは東京大に負けてしまいました。当然、先輩方からはバッシングの嵐です。そんなどん底のなかで、私が主将に指名されました。

ゼロどころかマイナスからのスタート。何をやっても批判され、嫌気がさして辞めていく部員もいました。どうすれば部員たちの士気を高められるのか。そのとき頭に思い浮かんだのは、一人ひとりの強みや弱みをお互いに理解し、補い合っていくという高校時代に得た学びでした。

もともと慶応は日本一厳しい練習で知られます。先輩方はそれでも足りないという。しかし、言われることをそのまま後輩たちに伝えるだけなら、私が主将を務める意味はありません。自分たちの良さ、強みは何かを自分たちで考える。そうすることで初めて、メンバーが自分の役割を全うし、お互いを生かすことができると思ったのです。

素晴らしい監督やコーチ陣を迎えて再起をかけての1年でしたが、私の力不足もあり、結局、その年も良い結果は残せず、つらいシーズンとなりました。それでも、従来の枠組みにとらわれず、自由な発想で新しいものを作っていく大切さは心に刻まれました。むしろ、もっと積極的にチャレンジすべきだったと後悔しています。その時の思いが、今の自分の考え方のベースになっていると思います。

例えば、当社は働き方改革の一環として残業時間の削減に取り組んでいます。現場からアイデアを出してもらうのですが、ときには従来の業務のやり方を大きく見直すことも必要になります。そういうとき「前例がないから無理だ」といって逃げたくない。前例がないからこそ、やってやろうとエネルギーがわいてくるのです。

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