慶応の「逃げない心」で働き方改革 三菱地所PM社長
川端良三・三菱地所プロパティマネジメント社長(下)
女性が働きやすい環境を整えることも同様です。試行錯誤しながら、様々な施策にチャレンジしています。中には、後になって問題だったと言われるものもあるかもしれません。ただ、リスクを恐れて何もしないのが一番よくない。与えられた役割さえやっていればいいというわけではないと思うんです。
ラグビーというスポーツがまさにそうです。ポジションは一応決まっていますが、状況に応じて様々な役割を果たす必要があります。バックスの選手が相手の大きなフォワードの突進を止めなければいけない状況も出てきます。そこで正面からぶつかっていけるか。社長になった今も、自分が逃げていないか常に意識してしまいます。
慶大ラグビー部の先輩に誘われ、三菱地所を志望した。

「上京したての私の面倒を見てくれる先輩もいて伝統校のありがたさが身にしみた」と語る
大学を卒業して三菱地所に入社したのは、慶大ラグビー部で大変尊敬している先輩である若林俊康さんに誘われた一言がきっかけでした。「三菱地所は一級建築事務所で、同じ社内に設計関連の部署もあるよ」と。大学進学時にあきらめた建築への思いが再燃し、建築家にはなれないものの、同じ会社で建築関係の方々と一緒に仕事ができることに強い興味を抱き、三菱地所を志望しました。
高校、大学と先輩方の指導は厳しかったですが、そのおかげで今までいくつかの難局を乗り越えることができたと感じています。自分一人の力では無理だったと思います。今の時代では、はやらないかもしれませんが、つらいことがあってもあきらめずに頑張りぬくこと。そこで何かを得る。無駄な経験はないというか、念ずれば花開くというか。それを教えてくれたのが厳しくも温かい先輩方でした。
また、厳しいだけではなく、上京したての私を父親代わりのように面倒を見てくれる高校の先輩もいて、本当に伝統校のありがたさが身にしみました。今は高校のラグビー部の練習に顔を出すことはありませんが、お世話になった先輩方が我々にしてくれたことと同じように、後輩たちのために今の自分にできることは精いっぱいやりたいと思っています。
(村上憲一)
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