トップスターと膝詰め 宝塚歌劇、過去最高動員への道
宝塚歌劇団 小川友次理事長(上)
「でも、当時の宝塚音楽学校の校長に『あまりに知り過ぎているファンのような人ではないほうが、宝塚歌劇を改革できるのではないか』と言われましてね。そのころの宝塚歌劇は、変革がどうしても必要な時期でした」
――リーダーとしての正念場がいきなりやってきたのですね。
「リーダーとして組織を動かす際、結局一番大事なのは人なのだと痛感したのが、このころです。当時はバブル経済の崩壊後。宝塚歌劇団でも会社として改革を進めていました。例えば、5つ目の組である宙組を作ったのもこのころですし、東京公演は98年から通年化しました。それまで東京では、収支をプロモーターやホールなどに任せる『売り興行』でしたが、宝塚側がチケットの販売元になる『自主興行』に取り組むなどの改革を進めました」

阪急電鉄に入社、運転士を経験した新人時代(前列右端が本人、1979年)
「私がこのころ思い切って取り組んだのが、歌劇団の団員たちとの話し合いです。14年に生まれた歴史ある歌劇団ですから、チケットの販売などさまざまな面で古いしきたりが残っていました。そこで、私は思いきって歌劇団を支えるトップスターたちと話し合って、仕組みを新しい時代に合わせていかないといけないと、まさに膝を突き合わせて説得しました。歌劇団の側がトップスターたちとそうやって経営的なことを話し合うことは、それまではほとんどなかったと思います」
トップスターたちのプレッシャー
「そのとき、トップスターたちがどれだけ大きなプレッシャーを抱えながら歌劇団を背負っているのか、ということを思い知らされました。『小川さん、改革が必要なのはわかる。でも絶対にファンを大切にしてほしい』って必死で言うんです。私は営業畑の人間ですから、どうしても営業に力を入れて売り上げを伸ばさなくてはという視点で考えてしまいますが、宝塚のような組織は結局、人が宝なのです。制作者の立場と営業と、車の両輪として見ていかなければいけないと痛感しました」