トップスターと膝詰め 宝塚歌劇、過去最高動員への道
宝塚歌劇団 小川友次理事長(上)
――宝である人材を育てるために、どのような努力や配慮をなさっていますか。
「採用段階から立ち会って、長い目で育てたいと思っています。幸い、宝塚歌劇団には音楽学校があって、生徒を育てる仕組みがある。私は音楽学校の面接も2次面接から参加して直接、受験生と話します。歌劇団の演出家や衣装、舞台装置などの担当も採用の段階から関わります。若い時から顔をみて話をしておくと、いつでも作品について議論したり提案しあったりという関係が築けます」

「舞台は生もの。現場を知っていることが大前提」と話す
「どんな組織も同じですが、全員がトップになって卒業できるわけではないですよね。でも、トップではなくてもやりがいをもって舞台に立って、ここから巣立ってくれるようサポートしていきたいですね」
――作品作りにも積極的に関わっていますね。
「宝塚大劇場の支配人を務めた後、2005年に梅田芸術劇場(大阪市)の専務に就任、そこで社長も経験したことが生きています。梅芸の前身の梅田コマ劇場は集客が芳しくなく、再建が急務でした。その時に取り組んだのが上演作品のてこ入れです。自主公演を作ったり、オーストリアのウィーンからミュージカル『エリザベート』を招聘(しょうへい)したり。このころに、海外でのタフな交渉をしたり、米国の大物演劇プロデューサーであるハロルド・プリンス氏と親しくなったりなど、貴重な経験を積みました」
「こうした経験があるから、今も宝塚歌劇の作品作りにも参画できているんだろうと思います。『宝塚に異動は勘弁して』と言っていたくらいなのに、不思議なものですね」
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1956年大阪府柏原市生まれ。79年慶大卒、阪急電鉄入社。83年阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)で広報を担当。98年宝塚大劇場総支配人、2005年梅田芸術劇場専務、09年同社長、15年宝塚歌劇団理事長。
(藤原仁美)
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