「満員の舞台に立たせたい」 野球も宝塚も願いは同じ
宝塚歌劇団 小川友次理事長(下)

宝塚歌劇団の小川友次理事長
宝塚歌劇団(兵庫県宝塚市)の小川友次理事長(62)は現場の人だ。その証拠に劇場内ですれ違うタカラジェンヌはみな、小川氏を見つけると笑顔を浮かべて雑談が始まる。「現場で顔をみて、元気かなと確認しないとね」という姿勢の原点は、大学生時代に体育会でプレーした野球にあるようだ。
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――もともとは体育会系の出身ですね。
「慶応義塾大学で体育会野球部に所属していました。強い選手がゴロゴロいるチームですから、僕はレギュラーではありませんでしたが、4年生のときに1、2年生たちにあたる新人チームの監督を命ぜられたのです。自分の練習が終わると新人たちの監督をする日々でした」
「このときに、全体の監督をしていた福島敦彦さんの姿は忘れられません。監督の多くは、新人チームにはそれほど気にかけないものですが、福島監督は違いました。とにかく熱い人で、1、2年の選手たちの練習もちゃんと見に来るし、話をしたり食事をしたりしていました。あるとき、2浪して入学してきた新人部員が、長い受験勉強で体力が落ちていてうまく練習についていけず、スランプに陥ってしまいました。それで、逃げ出して練習に出てこなくなってしまった。監督と僕が必死で探して見つけ出しましてね。福島監督は彼の話をちゃんと聞いて『帰って来いよ』と」
監督の後ろ姿にリーダーの在り方を学ぶ
「慶応の野球部みたいな大きなチームだと、補欠のほうが人数が多いんですよ。でもその一人ひとりが人生を抱えている。悩みもある。そういう声をちゃんと聞いていくのがリーダーなのだと、このときの福島監督の姿を見て強く感じました。本当の指導者は末端までちゃんと目を配るんだ、リーダーはそういうことが大事なんだ、と感じた最初の体験だったように思います」
――野球との縁は阪急電鉄に入社してからも続きました。
「1983年にプロ野球の阪急ブレーブスへ出向して広報を担当しました。広報ですから、基本的にはチームに帯同して全国を回る日々でした。当時の監督は上田利治さん。僕が学生時代に野球をしていたこともあって、上田監督には非常に気にかけてもらいました」