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――バイト先の派遣会社ではなく、インテリジェンスに売り込んだのですか。

「バイト先の派遣会社は経営状態が良くなく、インテリジェンスは私の営業先でした。訪問しようとしたら『ちょうど、君をスカウトしようと思っていたところだ』と言われました。その時、初めて自分が大学生だということを打ち明けたんです。そうしたら、僕をスカウトしようとした人も大学生だった。それが現パーソルホールディングス副社長の高橋広敏さんです」

システムの売り込み先で逆にスカウトされ入社した

システムの売り込み先で逆にスカウトされ入社した

「友人と作った人材派遣会社向けのシステムを売り込みたいと言ったら、宇野康秀社長(当時)が出てきて、『システムを買ってあげるけれど条件がある』と言われました。一つはインテリジェンスで人材派遣事業の手伝いをすること。もう一つが一緒に開発した友人はインテリジェンスに常駐して開発に従事することでした。それで、私はアルバイトとしてインテリジェンスに入ることになり、そのまま正社員になりました」

「営業は性に合っていたと思います。売れなくて困ったという記憶がないですから。1カ月に74社から188本の派遣の依頼をいただいたこともありました。特別なことは何もしていません。ひたすらお客さんの役に立つことを考えて行動していただけです。鼻が利く、ということはあったかもしれません。どういうところにオーダーが発生しやすいかというマーケティング的な視点を持って営業に回っていました」

「私がインテリジェンスに入社した1996年はちょうどインターネットの勃興期で、営業先はプロバイダーさんが多かった。テクニカルサポートやインフォメンションセンター、課金業務などで人手がいるなというのはわかっていました。それと、当時は医療機器や医薬品を含め、外資系企業がたくさん日本に参入してきた時期でもありました。そこで人材派遣のニーズが発生するだろうなというのは予想できたので、得意な業界を決め、それを横展開していった感じです」

「出世は早いほうでした。アルバイトから入社し、入社して半年くらいでマネジャー、そこから1年半で事業部長になりました。新規にエンジニアの派遣業を手がけることになり、プロジェクトリーダーを務めました。その事業部が約3年で売上高23億円ぐらいに成長したのです。ちょうどADSLや光ファイバーが普及し始めるタイミングで、テクニカルサポートの需要も多かった。それでECサーブテクノロジーという子会社を立ち上げることになり、社長に就任しました」

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