バイト→社員→子会社社長 なのに起業を決意した理由
ビースタイル 三原邦彦会長(下)
――インテリジェンスを辞めた理由は?
「自分で事業をやりたかったということが大きかったです。子会社の社長といえども、グループ戦略に即さなければなりません。自分で資本を持ち、責任を持ってやれるほうがいいなと思いました。ただし、キャリアの原点という意味では、インテリジェンスに勤めたことは大きかったと思います」
「起業する際、オフィスは新宿がいいと思っていました。登録作業のために、当時はスタッフさんに来社してもらう必要がありました。新宿は乗降客数が多いので、利便性を考えると絶対に新宿だと。そこで妥協をしてしまったら、『うちは立地が悪いから』と言い訳ができてしまう。自分が言い訳をするのも嫌でしたし、社員に言い訳をさせないためにも立地は絶対に妥協したくないと思いました」
「最初に借りたのは40坪のオフィスです。起業したばかりでしたから、最初はビルのオーナーさんも嫌がっていました。そこで、仲介に入った不動産の担当者さんが『三原さん、履歴書を持って説得に行きましょう』と言ってくれた。履歴書を持って、こんな会社に勤めて、これだけ実績を積みましたというのを詳細に説明し、オーナーさんに納得してもらいました。ですから、インテリジェンスという会社からいただいたものは大きかったと思っています」

独立前に勤めた企業からは無形の財産をもらったと感じている
「最初のうちはビースタイルと言っても、誰もわかりません。『インテリジェンスにいた三原さんです』と紹介される。サラリーマンというのは報酬をもらうだけではなくて、実績、実力、人脈、いろんな目に見えない資産を会社からもらっているんだなと感じました」
「起業して間もない頃、売上高が急に伸びて、キャッシュが足りなくなったことがありました。銀行からお金を借りることもできなくて困っていたときに助けてくれたのも、前職時代に知り合った営業先です。『貸してください』と頭を下げたら、その場ですぐ『わかった、貸してやるよ』と。後になって『なぜ貸してくれたんですか?』と聞いたら、『インテリジェンス時代の仕事ぶりを見ていたから』と言われました。仕事って、いつ、何がどういう形で返ってくるかわからない。中途半端なことはできないなと思います」
芝浦工業大学に入学してすぐ「理系職に向かない」と気づいたという三原氏だが、強みを発揮するのも早かった。検索システムの売り込みがきっかけで人材派遣業へと入ったことが後の起業へとつながった。パソコン上の業務をロボットが代行するRPA(Robotic Process Automation=ロボティック・プロセス・オートメーション)の時代を迎え、そのユニークな経歴を事業に生かす機会も増えそうだ。
(ライター 曲沼美恵)
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