主婦結ぶオンリーワン起業 支えは神戸女学院の出合い
堤香苗キャリア・マム社長(上)
中学1年の1学期中間テストまではアルファベットさえ習いません。英語の音をしっかり身につけるため、すべて発音記号で勉強しました。thの音とか、日本人は同じ「ア」と発音しがちなcatとsunの母音の違いとか。徹底的にたたき込まれます。高校生になるとさすがに文法を日本語で習うようになりますが、辞書だって英英辞典が基本と言われ続けた6年間でした。大学受験のころはもちろん、その後、フリーアナウンサーになった時に逐次通訳ができるレベルの英語力を身につけられたのも、女学院の英語教育のたまものだったと思います。
中学時代、日本史の粟飯原敬江先生から大きな影響を受けた。

「経営者になって社員を雇う立場になってから、聖書の話の重みを感じるようになりました」と語る
今でもはっきり覚えている光景があります。昭和史を勉強していたとき、先生は教科書をぱたんと閉じて、私たちの方をまっすぐみすえて、こうおっしゃいました。「教科書にはこう書いてあります。でも、教科書に書いてあることがすべてではないと思いませんか」
先生の言葉は、まだ10代前半の私には衝撃でした。教職という立場にある人が教科書の内容に異議をとなえ、自分の考えをはっきり主張してもいる。自分の思うことを言葉にして話していいんだ。この時の先生の姿から私はこう学びました。今、KY(空気を読めない)ってよく言いますよね。でもね、KYでもいいじゃないと思うのです。もちろん、相手を傷つける言葉はダメですが、意見はどんどんぶつけ合って、私はこう思う、あなたは違う意見なのね、ということを、どんな立場にあっても言い合っていいんだと、先生から教えられました。この姿勢は私の原点になっています。
聖書を学んだことも、私の軸になりました。神戸女学院は1875年に米国からやってきた2人の女性宣教師が設立した学校です。学校の永久標語「愛神愛隣」は新約聖書マタイによる福音書にある「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」「隣人を自分のように愛しなさい」という有名な一節からきています。
もうひとつ、聖書の中で最も心に残っている話がヨハネによる福音書にある「姦淫の女」です。姦淫した女が、村の人たちに責められている。そこにイエスが呼ばれ、モーセの律法は姦淫した女を石で打てと説くが、イエス、あなたはどうするか、と問われます。イエスは「あなた方の中で罪のない者が、石を投げつければ良い」と答えます。村の人たちはだれも石を投げず去って行きます。イエスは「私もあなたの罪を定めません」と女に語りかけます。何があったとしても、私もあなたも同じである。あなたに罪があると言い定めることはしません、と。