0点でも「おまえはやれる」 熊高がくれた自信
高浜正伸・花まる学習会代表(下)
節目節目で自信をつけてくれる人がいた。
3年生で付き合った彼女も、一生に影響を与えてくれました。頭が良くて、僕より精神的に20歳ぐらい大人でしたね。イケメンの同級生を見ても「あぁ、あれは観賞用かな」という感じ。「あなたは今、自分じゃわかっていないけど、必ず大きな仕事をする人だよ」と言い続けてくれました。実は、僕は小さいころ体が弱くて、姉や弟に引け目を感じていました。親父は甘え上手の弟ばかりをかわいがっていて、根っこでは不安だらけ。それを彼女が自信をつけて、完全に新しい自分にしてくれたと思います。

「信用できる大人があちこちにいたのは恵まれていました」と振り返る
浪人中もパチンコやマージャン、女の子にケンカです。三浪が決まった時も悲愴(ひそう)感はなかったですね。中学から続けていた日記には「いよいよ三浪だ。物語はこうでなくっちゃね」と書いてありました。このぐらいから復活していくのが物語としてはおもしろいでしょ、と。
勉強の面で「自分は大丈夫だ」と自信を付けてくれたのは、少し遡りますが小6の担任だった高野先生です。ひいきしてくれて「お前はものすごい才能を持って生まれているんだから、特別な自習をしてこい。俺が見てやる」と言われたら、やる気になりますよね。「え、マジで?スポットライト来ちゃったー!」と大喜びして、どんどん勉強しました。
そうするとできるようになって、中1のときは県でトップレベルになりました。それ以来、自分はやればいつでもできる、と信じられました。でも、後で分かったのですが、実はクラスの全員が「ひいき」されてたんです。みんな「俺だけ先生に認められちゃった」と思い込んでいました。無理にやらせるのではなく、ちょっとしたひと言でやる気に火を付けちゃう。教育者としてすごい人でした。
熊高の先生でもう1人印象に残っているのは、英語の松木先生ですね。浪人時代に何度も不祥事を起こしていて、学校へあいさつに行ったときです。先生はニッコニコして「高浜、いいよねー。お前はやるよ!」と言うんですよ。「これで褒められるのか?!」と驚きました。正直、その人は昔ワルだったみたいなのですが、英語で一番の先生になりました。
熊高で「君はなんでそんな事件を起こしたんだね」みたいな、型にはまったことを言う先生はいなかった。信用できる大人があちこちにいたのは恵まれていました。いま自分も教育者になったので分かりますが、先生たちはそれぞれの生徒を見立てて「こいつは手出ししてあげないとだめ」とか「こいつはほっといても大丈夫」とか、判断していたのだと思います。僕の場合、普通の注意をしても無駄だと思われていたのでしょうね。
東大農学部に進んだ後もやりたいことを追求した。
大学入学後、仲間と高田馬場クリエイティブクラブという集団を作り、絵画や映画、落語など、次々と面白いことを見つけてはのめり込みました。でも、3年が過ぎて急にそんな生活が嫌になり、何もかも捨てて牛乳配達をしながら思索することにしたんです。それを一緒にやったのが、高3の同級生で今も一緒に仕事をしている西郡文啓(西郡学習道場代表)です。こんなことを一緒にやってくれる人は、なかなかいませんよね。